生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

寝そべりながら月姫ができますよ

九月十九日、晴れ。

見事三度寝をかまして起きると午後。

遅い立ち上がり、ボンヤリと出発、ジャンクPCのメモリをどうしようか探していたところ新宿のじゃんぱらにはお目当ての品があることを確認。郵送で頼むなら現地へ行ってしまえと京王線に乗って現地購入。

帰宅、ジャンクPCのHDDを余剰SSDへクローニングする。セットアップした後筋トレへ。3セットと有酸素運動30分。十分な運動量だったので今疲労制頭痛がすごい。

筋トレから帰るころにはクローニングも終わっており、SSD換装とメモリの積み替えを行う。メモリ1GBと書いてあったが全体で1GBであり、RAMは512MBしかなかった。2GBに積み替えたところ表記上は2.5GBになる。これでやっとまともに動作するレベルへたどり着いた。

食後、イカ。エリアがAからA+へ。金モデによるスーパーモンキーボールを楽しむゲームとなっており、イカとは何だったのか。

その後無事動くジャンクPCに喜々として月箱やその他諸々をインストールして夜が更ける。続きは明日。

サーモンラン、ヒエロニムス・ボス、甜麺醤

九月十八日、晴れ。

台風一過だったのだが、ダラダラとサーモンランなどをうっかりして過ごす。

Bunkamuraにて行われている「ベルギー奇想の系譜展」へ行く。

ヒエロニムス・ボスのオリジナルは置かれていなかったがボスの絵を版画家したもの、ボス死後再評価の頃のボス派の作品、ボスと同時代同作風であり恐らく同じ工房で作られたであろう作品、そして近世へと飛びマルグリットなどにたどり着き、その先の現代作家まで、フランドル地方、ベルギーの奇妙な作品が並ぶ。

ボードレールと親交の深かったフェリシアン・ロップスの作品などは初めて観たが死や退廃をテーマにしつつも描き方が小粋で厭味のない素晴らしい作品たちであった。

帰宅後、豚バラ肉とナスの中華炒めを作る。クックドゥを使うのは何かが癪だったので甜麺醤を中心に自身で味付けをしてみるが思いの外上手くいく。まだまだ中華は研究の余地がある。

成田山、うなぎ、ダンケルク

九月十六日、曇り後雨。

成田へ向かう。空港ではなく成田。

成田駅へ降り立つとお祭りムードが漂っており、門前町には山車や様々な催しが行われている。

昼食は川豊本店でうなぎを喰う。年々値上がりしているうえに絶滅危惧種になってしまったので食べること自体に背徳感がある。たまにしか食わないので店ごとに比べられるほどの経験はないがやはり焼き方が最も肝要な食い物であると思う。

ところで成田でうなぎ屋が盛んなのはかつて印旛沼でうなぎが獲れたからだそうだ。明治大正に治水工事が行われるまで荒川だけでなく利根川も流れ込んでいたらしく、それは水害もひどかっただろうし印旛沼干拓するだろうとつくづく思う。

成田山新勝寺へ参る。本堂はPAシステム完備の中、太鼓がドンドン叩かれ全員で真言を唱え始める。壁には曼荼羅、完全にサイケトランスの世界としか言いようがない空間であった。

どうも成田山というのは伝統ロンダリングをしていて明らかに栄えたのは16世紀か17世紀あたりであり、更に昭和にガンガン増築改築しているので伝統的な建造物というのはさほど多くない。いくつか重要文化財指定されている堂を見るとそれもまた江戸っ子たちのやんちゃっぷりが伺えて他の史跡とは異なる珍スポット感を醸し出していた。

新勝寺を半分ほど見た後、そのまま歩いてHUMAX成田へ向かう。ダンケルクを観るならIMAXシアターで観なければ、それもなるべく大きい場所で……との結果成田となった。

成田山に気張りすぎて疲れ、映画前半で寝るという大失態を犯してしまう。ただこの映画はストーリーや伏線というよりは、ただただ美しさや恐怖を生々しく映した映像といった感が強く、観終えた後も「ああ、すごい映像だった」という一言に尽きる作品であった。

視神経の弱り、もしくは気持ちの問題

九月十五日、曇り。

バトルオブセキガハラの日でありクトゥーゾフがモスクワに火を放った(次の)日らしい。

そんなことは関係なく起きると11時。

筋トレへ行くか微妙な時間で躊躇するが朝飯を食う。

午後から行こう、まずこの眼精疲労によるダルさをなんとかしよう、とあずきのチカラを借りると13時に起きるはずが15時までワープする。

諦めてイカを1時間プレイ、その後お台場へ向かう。

アプガの7人体制ラストライブを観る。前から感じてはいたのだが爆音(早い四つ打ち、ワブルベース等)、レーザー、ストロボが組み合わさった空間の中で作曲していた当時を思い出してセルフ反省会を始めると精神状態が極限まで悪化して非常にしんどい。恐らくライトによる視覚情報が大きいのだが、色々と参ってしまって途中で失礼する。見届けたかったのだが……

メルカリで買った2500円ジャンク扱いPCを触って動作確認をする。2007年スペックのポンコツだが動作には何も問題がない。これでちょっとしたエロゲーなどはプレイできる。可能ならばSSD換装やメモリを2GBにしてみたい。

『幕末史』著:半藤一利

通読二回目。

半藤一利センセイの昭和史からそのまま幕末史に流れ着き、これが自身にとっての幕末知識の入門書一冊目となったもの。

あまりにも色んな場所で攘夷か開国かクルクルと切り替わり(主に長州なのだが)、登場人物たちの思想が何度も裏返る中様々なしがらみによる綱引きが起きてよくもまぁこれで欧州列強に乗っ取られずに済んだものだと改めて思う。

前書きで反薩長史観であるということを断言しているし、半藤氏の講義録であるからしてもはや講談のような語調と解釈が歴史の欠けたパーツを埋め合わせてゆくわけで当然そこには「勝者の歴史」とはまた違うバイアスがかかっている。無論子母澤寛(読んだことすらない)や司馬史観も混ざっているはずだ。

結局のところ吉田松陰はテロリストを育成したわけだし、薩長による国家転覆と権力闘争が繰り広げられた事は否定し難い話なのだが、ではその逆、歴史のifとして公武合体制の国家が成立していたとしたらどうなっていたのか。著者は最後に残った薩長大久保利通木戸孝允のような者たちが新政府をどのような国家として作ってゆくかの青写真を持っていなかったと批判するが、公武合体が実現していたとして、阿部正弘長井雅楽島津斉彬や一橋派の面々が新たな国家を作り出せたのかといえばいささか謎である。

仕方のない死というものは無い、命は失われて良いものではないかもしれない、だが近世から近代へ切り替わる時代の動きに血は避けられないものであったのではないか。西南戦争による西郷隆盛の死が封建制、侍の亡霊を断ち切ったように思えてならない。

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勤労党浪士幕末史読み終えイカばっかし

九月十四日、曇り。

勤労。勤労党として幕末史を読み進め、読み終える。

色々と音楽を流し聴きしていたが、コレ!というものもなく。

帰宅してイカ二時間。おしまい。