生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

鹿児島観光珍道中五日目兼TD

十一月十三日、晴れのち雨。

早朝の便で鹿児島から羽田へ帰還。帰還後グッタリして過ごす。

帰宅して最低限の荷分けなどを行い、慌ててTDに向けて食事、着替え、出発。

終電までにTDが終了して帰宅できたので有り難い。明日は自由の日だ。部屋を片付けたり曲を作ったり、なんでもできるぞ。

鹿児島観光珍道中四日目

十一月十二日、晴れ。

「大盛うどん」で肉うどんを食べる。やわらかい麺、すき焼きのタレのような甘辛いめんつゆ、しぐれ煮のような牛肉。讃岐うどんとはまったく別の種類のうどん。美味い。

北上、佐土原城跡へ。島津豊久が継いだ佐土原藩の中心である。島津豊久は京や朝鮮ばかりだっただろうし、豊久死後は島津以久の家計が継いだので豊久の痕跡は然程ではないのだろうが、薩摩国ではなく日向国になってくるため伊東氏と島津氏の戦いの歴史がより色濃い。ここもかなりクレイジーな堀切の山城となっており、日向国での伊東氏の顔の効かせっぷり、それを打ち破る島津の戦闘民族っぷりを感じさせる極悪軍事施設であることを体感。歴史資料館では江戸時代の御家騒動も企画展で解説されており、展示も良ければ職員の人達のフレンドリーさも素晴らしい。佐土原町宮崎市に合併されたことで観光開発の予算を減らされ営業が土日祝だけになり、空堀の再現もままならくなったと聞いて今現在の地方の悲しさも知る。

一路西へ、前日断念した木崎原古戦場跡へ。関ヶ原へ行った時と同じひたすら田畑の広がる盆地を体感する。

加久藤城跡を確認、誰が通れるんだというような崖の尾根の先に見張り櫓跡があったり非常にスリリング。本丸に鳥居と神社があり、早世した義弘の息子鶴寿丸の墓も明治に神社として改められたらしい。どんだけ徹底的に廃仏毀釈をしているんだ、この国は。

日が沈み飯野城を断念。鶴寿丸を弔うために義弘が植えたと伝わる大銀杏を見て帰る。

レンタカー返却、空港近くのホテルに宿泊。

鹿児島観光珍道中三日目

十一月十一日、晴れ。

霧島方面観光のためレンタカーを飛ばす。

松尾城へ行くつもりだったのだが住所入力ミスにより見事国分城跡へ到着する。

城跡は見事学校になっており、背後の山は立派な公園としてママ友公園デビュー空間となっていた。恐らくラジオ局が電波を飛ばしており、随分のどかな場所なものだと思う。

急いで車を飛ばし、本来の目的地である松尾城へ。島津義弘の構えた城であり、鹿児島には珍しい石垣がある……とのことだったが野面積みのクオリティは近畿のそれに劣るお粗末なものであった。それよりもシラス台地特有の削りやすさによって堀切が坂ではなく崖や絶壁になっており山城としての圧倒的防衛力の高さに舌を巻く。こんなものを攻める足軽にでもさせられた日にはあっという間に討ち死にするか崖の下に落ちるかだろう。

そのまま霧島の峠を走る。木崎原古戦場を一旦諦めて焼酎「明るい農村」を製造している霧島町蒸留所へ行く。異常なほどフレンドリーで丁寧な対応、解説で蒸留所を見学、明るい農村グッズを見事コンプリートする。霧島山新燃岳の噴火によって霧島川に大量の火山灰が流れ、下流では鮎が死滅し農家の作物が大被害にあったそうだ。

宮崎へ到着、やはり鶏肉を食わねばと思い焼き鳥「味川」へ。一見さんで転がり込んでしまったがハツとレバーは完全に麻薬のような味であった。レバー以外の内臓系はつけダレが全てで肉の差なんて大したことがない安物食材だと見くびっていたが考えを全て改めさせられる。半生の肉は最高、特に半生の鶏肉は最高。

宿でSplatoon2のフェスを少し行う。

鹿児島観光珍道中二日目

十一月十日、晴れ。

示現流資料館へ行き、示現流の歴史、書物等を観る。江戸前期にあたる初代が書いた書物などが平然と現物で残っておりゴロゴロと展示してあることに衝撃を受ける。

こんな流派の人間が襲いかかってきたらまぁまず常人では勝てないだろうなということだけは強く納得する。

島津家墓地である福昌寺跡へ。かつては1500人の僧侶がいる巨大な寺だったそうだが、現在手前には大きな高校が建っており、寺としては機能していない。歴代藩主の菩提寺すら潰す明治の廃仏毀釈の恐ろしさを感じる。恐らく墓石も狭い空間に無理矢理詰め込んだであろう配置となっており、何かゼルダの伝説の神殿のような妙なスピリチュアル空間が広がる。義弘、久保、亀寿姫などの墓をみていたところ、久保が朝鮮でかわいがっていた白地に茶トラの「ヤス」と同じ模様の猫たちを見かける。ヤスの子孫なのだろうかと感慨に耽る。猫は可愛い。

レンタカーで一気に西へ移動、日置市へ向かい一宇治城跡を観る。このあたりから鹿児島のシラス台地によって形成された異様な山の形状に気付きはじめる。山水画のような山々がそこらじゅうでデコボコしている、おかしい。ここが島津貴久による三州統一の足掛かりになったのだなぁと感慨に耽る。

向かいの山に島津義弘菩提寺である妙円寺があるのだが、明治の廃仏毀釈によって起きた妙円寺と徳重神社のゴタゴタ話を読んでテンションが下がり、伊集院駅前の島津義弘像を眺めて帰る。義弘像も駅前のロータリーの都合で移動準備中であり、近くで観察することがままならなかった。来年の大河ドラマに向けて鹿児島の観光地はあちらこちらが整備中のようだ。

鹿児島市へUターンし、日が暮れて資料館本体が閉館した鹿児島城へ行き石垣や周囲の石碑などを眺めて周る。西郷隆盛最後の地だけあって観光のための整備工事がバリバリ行われており、テレビの力や観光の官軍の力を感じる。宝暦治水事件の薩摩義士の墓碑にお参りをする。

鹿児島ラーメン豚とろを夕食に。とんこつラーメンすら甘い、衝撃を受けるがそろそろこのなんでも甘い文化に慣れはじめる。

鹿児島観光珍道中初日

十一月九日、晴れ。

風邪を引いた体で羽田から鹿児島へ。

鶴嶺神社、仙巖園、尚古集成館をぐるぐる廻るだけで昼が終わる。

島津氏の別邸、日本庭園の皮を被ったインダストリアルデザインの塊、もはや石燈のデザインが未来派めいている。日本近代化の波が生み出したキメラ庭園。その向こうに鹿児島湾と桜島が圧倒的スケールで広がり、手前には日豊本線。見たい光景が全て収まっている。

晩はとんかつ川久で肉がピンク色で揚がるとんかつを食う。肉の味にこうもダイナミクスがあるものかと感激、九州特有の甘い醤油ダレがソース以外に用意されているが、こちらの方が肉の繊細な味がわかってこれもまた面白い。

風邪を引くと睡眠の大切さを実感できる

十一月八日、晴れ。

連日医者へ。もうなんかめんどくさい。

しんどさがピークに達し、昼寝などをする。

アズールレーンのイベントは断念。

夜になって慌てて荷を詰めはじめる。

FGOたのしかったですね

十一月七日、晴れ。

4時間ほど寝て10時過ぎ起床、医者。

医者帰還、眠気と風邪の予兆で布団に吸い込まれる。

ソシャゲから解放された喜びで久しぶりに活字を読む。またソシャゲに縛られる。

ちょっと生活を立て直さないと風邪でグダグダになってしまう。