生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

ぢっと手を見る

三月十二日、晴れ。

7時半の目覚まし、布団で抵抗をしながら8時半に起きて青色申告会の当日予約を取りに行く。

取りおえて帰宅後二度寝

データや書類をかたっぱしからカバンに突っ込んで13時から指導、確定申告終了。

確定申告が終わったことによる解放感、目の前で追われている締切がないことの虚脱感で自由というより軽い虚無が訪れる。

せめて活字を読もうと機龍警察自爆条項を読み進めて上巻を読了する。

久しぶりにSwitchを引っ張り出してSplatoon2をやってみたりしながらなんとなく虚無い。早く寝たほうがいいなと思いながら部屋の掃除をする。

明日も勤労。

 

アイルランドに対する知識と歴史認識をもう少し真面目に学びたいと思う。猛スピードで読み進んでいくが感想は下巻を読み終えてから。

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Apple Storeの雑さは働く側になれば適切な雑さなのかもしれない

三月十一日、晴れ。

二度寝をしたら13時になっている。回収しそびれたiPhoneを求めて表参道へ赴く。

ノイズキャンセリングヘッドフォンで遊んでいるうちに呼ばれていたらしく、その後ボンヤリ待てども声がかからず一時間後に再度訪ねてようやっとiPhoneを受け取る。

Apple Storeの中で人酔いをして消耗、日が傾き始めた電車で家に帰る寂しさ。

郷土の森博物館で徳川御殿の展示を見たかったのだが入館時刻を過ぎてしまいおとなしく家に帰る。

リテイクに追われず家でゆっくりできる時間に気を抜いて無為に夜を過ごしてしまう。休むにしても本を読んだりして有意義に過ごせたはずなのに。

明日は確定申告のためにソ連の主婦になる。

バンドをやってる友達(あるいはソロプロジェクトをやってる友達)

三月十日、晴れ。

雨が降りはしたが、まだ梅が満開のチャンスということで浜離宮恩賜庭園へ行く。

この数年、やたらめったらに咲くソメイヨシノよりも梅の花を美しく感じるようになってきた。梅は香りも佇まいも風情がある。ただの天邪鬼かもしれないが。桜の花見は人が多すぎてどうも苦手だ。

梅や寒緋桜などが咲いている。そして樹木の手入れの品質が高い。先の枝だけが残され花が美しく咲くように手入れされている。緑の枝、青軸性の梅(月影か緑萼かどうもそういう名前の手合らしい)が侘びた魅力を出していた。

そしてこの浜離宮恩賜庭園そのものが中々の珍スポットでもあった。汐留のテレビ局を中心とした企業の高層ビルに周りを支配され、かつて徳川が海沿いに建てた大名庭園(つまりオーシャンビューを楽しむ空間)の周りの陸側は独特の反射をする高層ビル、海側は物流の倉庫や物々しい水門、対岸にはお台場がかすかに見える。もう徳川綱吉徳川家宣が観たであろう景色は失われている。だがかつて徳川将軍が舟を付けた門痕は残っているし、潮入の池は川の水と海の水が混ざって他の庭園の池とは異なる様を見せている。鴨、ユリカモメやシラサギが水浴びをし、石垣にはかすかにフジツボが見える。樹齢200年はあろうかという気合の入った松たちがグネグネとそんな中で存在感を放っている。

整然とした庭園とそれを取り囲む現代の東京のアンバランスさが得も言われぬ珍妙さ、戦後日本のミスマッチと真っ当な庭園の美しさを一度に楽しめるオモシロスポットであった。また行きたい。

表参道へ移動してApple StoreでiPhone 6sPlusの電池交換を依頼する。いつまでも呼び出されず、店のMBPのGarage Bandで人生初のGarage Band曲を完成させてしまうほどに待たされる。最終的に呼ばれないことを伝えたら即座対応となり、なんだったんだ。

待たされてしまったので予定がズレ、スカートのワンマンライブに開演スレスレで滑り込むことに。うすやま氏のDJで高気圧ガンダムを聴くことがかなわず悔しい。

既に6枚もアルバムを出しメジャーデビューも飾ったスカート、1stの頃はバンドをやってる友人だったのが、ライブ中だけは少しだけ遠くの人になったようにも感じる。

歯に衣着せぬ言い方をするとスカートはインディーズの時のがむしゃらな勢い、まるでパンクバンドのようなライブの勢いと迫力が最近は失われている。それはパーカッションが加わったりストリングスが入ることによってより洗練されたものになったことの裏返しでありそこはトレードオフなので当たり前とも言えるのだが、端的に言うと「澤部渡るのソロプロジェクト」であるがゆえにギターを持って弾き語りをする澤部渡の周りのサウンドが増えた以上の変化が起きていないのだ。

ギターを弾かない澤部渡、伴奏をストリングスやエレピに任せて歌うスカートがあってもいいんじゃないか?

弾き語りの延長線というのはキメやオブリの少なさにもまた表れている。「静かな夜がいい」がリリースされた際に感じた違和感は、リードギターが増えることによって今までにない要素が加えられたのだが、オブリやギターソロが寂しい(歪んでいない?)ままリズムギターが中心として存在し続けているあたりにあったのだと思う。

スカートは澤部渡によるソロプロジェクトであり、バンドではない。「俺が聴きたいのはバンドになったスカートなんだ!」ということなのかもしれない。

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スカート
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勤労レム

三月九日、雨のち曇り。

昨日の筋トレと深夜リテイクでめっちゃ起きるのが辛い。

勤労。

勤労中にスタニスワフ・レム虚数』を読了する。

 レントゲン・ポルノ、バクテリアの執筆した小説、コンピューターによる文学、未来の事象まで記載された百科事典の広告、そしてシンギュラリティ後のコンピューターによる人類に対する講義録「GOLEM  XIV」

すべて未来の書物、そして「GOELM XIV」の講義録本編以外は全て未来の書物の前書きや序文である。読むエネルギー、作者の込めた力も「GOLEM XIV」がダントツであり、他はオモシロSFといった具合であった。ポーランドのオリジナル版では別の本に収録されているらしい。とにかく「GOLEM XIV」の人間や人間の知性という概念に人智を超えた存在が殴りかかってくるパワーが圧倒的であった。もしかしたら『ソラリス』などを読んで肩慣らしをしてから挑むべきだったのかもしれない。

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ところでほぼ毎日ギターの練習をしています

三月八日、雨。

11時半起床。筋トレに行くんだ、筋トレに行くんだと1時間強自分に言い聞かせる。

13時半筋トレ。久しぶりだったのでストレッチなども念入りに、3セットと有酸素運動40分。雨で空いているかと思ったら部活高校生が集団で現れて若者に場を支配される。

帰宅、本日最初のまともな食事を摂り一息ついた後、図書館へCDを返却、それから映画館へ行って『スリー・ビルボード』を観る。

人に魅力を伝えようとするとネタバレまみれになってしまうので紹介は難しいが、その難しさが即ち映画の魅力でもあるコロコロと観客の予想を裏切る展開、その展開によって登場人物たちの映し出される側面もまた切り替わってゆく。絶対善も絶対悪もおらず、人の善き行いと愚かな行いが交差し、シリアスな暴力と滑稽な笑いが同居したまま物語は転がってゆく(監督は北野武作品が大好きだそうだ)。人間の多面性や些細な行いが少しずつ観客の心を揺さぶってゆく。今までとは語り口の違う魅力的な映画だった。

映画を観て帰宅、夕食後にリテイクボーナスタイムが発生。仕上げて今から就寝。

カフェインハイテンションは諸刃の剣

三月七日、曇り。

10時半起床。ショートひなたぼっこ。

朝食の後、軽い眠気。しばらくだらける。

このまま一日を潰してはいけないと思い緑茶を投入。

カフェインの大量摂取により擬似的な躁状態に陥り、止まることままならずパソコンにへばりつき続けるハメになる。

ある程度までは集中して作業ができて良かったのだが、一定の地点から休みたくても気が休まらず、視野がどんどん狭くなってゆき袋小路に至る。アホほど時間をかけてアホほどリテイクを生み出し、カフェインが切れる0時過ぎにようやっと我に返る。

技術的に学んだことがないわけではないので無駄ではなかったがあまりスマートでもなかったと言える。

何か心休まることや計画的な行いによる余裕が欲しい。明日は自由に休む。

ちょっと今月は忍耐の月かもしれない。

レオニダス王と300人の仲間たち

三月六日、晴れ。

10時半起床。パンを流し込んで医者へ。

医者、図書館と行って帰宅。

昼飯にコロッケ蕎麦を食いながらAmazonプライムで『300』を観る。

テルモピュライの戦いからペルシャ戦争および古代ギリシャ(とアケメネス朝)に対して興味が広がったものの、古代ギリシャの歴史と地図は一瞬で覚えられるものでもなし、Wikipediaを拾い読みしているうちに山川の世界史に戻る必要性を感じてくる。ヘロドトスを読んだりイーリアスオデュッセイアにまで手を広げたくなる。

『300』主演のジェラルド・バトラーアッティラ大王を演じた『覇王伝アッティラ』というB級映画もあるらしく同時にローマ帝政末期にも興味が飛び火してもはや回収がつかなくなる。

『300』そのものは誇り高きスパルタの男たちの生き様と戦いを筋肉で描き、ザック・スナイダーのバリバリVFXで大量のペルシャ軍、隘路テルモピュライの岩壁、だんだん山田風太郎めいてくるペルシャ軍のトンデモ兵士たちで迫力とエンタメ感を出しつつ、ほどほどのところで本筋に戻って描ききる良い匙加減でした。スクリーンで見たほうがより陰影が綺麗だろうな。

春眠暁がどうの状態であり、その後はすっかり眠い。もう仕事とかしないで寝たい。

 

NWOBHMおよびそれ以前のハードロックバンドたちの区別やその流れでどう音楽性が変化してきたかというあたり、メタルをあまり聴かずに過ごしてきたので知らなかったのだが、1980年というNWOBHMの衝撃の中で既存のメタルバンドであったJudas Priestがどのように舵を取ったかを如実に感じるアルバム。いやJudas Priestロクに聴いたことなかったのだが。ここから「メタルゴッド」と呼ばれるようになるわけであり、雑にわけるとNWOBHMの流れがメタルなんだなというお気持ちがある。