生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

もはや脳が弱って文章を認める能なし

粗大ごみを家から放り出すのに一日分の力を使い果たしてしまった。
府中市では粗大ごみをリサイクルセンターまで持って行くと半額で引き取ってくれる。ので部屋の邪魔な物、壊れた自転車、ベランダの収納なんぞ車に担ぎこみ、ついでに本棚から減らしたい本なんぞ積んでハードオフ、リサイクルセンター、ブックオフと巡ってきた。


物を運ぶ手間よりも車の運転が疲れた。やけに眼と、視覚を司る脳が疲れる。
原付の運転はそんなことはない。油断すると自分が死ぬので神経も筋肉も上半身を中心に満遍なく使う。運転に退屈しない。
ATの車というのはやたらと挙動が緩慢である。ギヤーがCVTなのでペッタリと走りなおさらである。にも関わらず出力だけは人を簡単に殺してしまうほどの力がある。とても単調で退屈なのに気を配らなくてはならないというのが辛いのか、それともスピードが速いから単に情報処理量が多いのか。ただただ頭だけが疲れ、とても不健康な感じがする。
CVTでなければ、更に言えばマニュアル車ならそんなことはないのだろうか。赤信号や踏切を、ブレーキペダルだけはしっかりと踏みしめて延々と待つ、どうしてこのようなことが耐えられよう。都下とはいえギリギリ電車社会の街である。丁度境界のあたりかもしれない。東へ行く場合殊更に辛い。なぜこうも車が辛いのか。そんなにも脳が貧弱なのか。なぜ車に乗らなければいけないのか。なぜ若者が責められなければいけないのか。なぜベストを尽くさないのか。貧弱だからか。