生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

よりよい暮らし よりよい墓場

唯識/唯物の二元論で考えるわけではないのだが、唯識論と唯物論それぞれの立場でのものの捉え方と、それがその人にどのような影響を及ぼすのか考えてしまう。
要は自分が弱ってきた時、参ってきた時どう乗り越えるかという現実の対処としてそこから何を得られるのだろうかという目の前の話で考えるのだけれども。
唯識論。心、精神、魂、もしくは脳の電気信号、広義の心という奴が周りのいかなるものに対しても耐え得ることが可能である、心頭滅却すればなんとやらというような仏教じみた捉え方は自分には無理だ。腹が減ったり寝不足になれば弱るし拷問されれば何でも吐くだろう。無論そういったものに動じない強さを日頃から養うのは理想であり大切だが、それと痩せ我慢でジリ貧に陥るのは違う。そして仏教に対する認識の浅さや唯識論と唯心論の区別のついていなさが露呈する。
唯物論(マテリアリズム)。対義語は唯識論ではなく観念論(イデアリズム)らしい。イデアという物は全く信じていないしプラトンがいるから全てがややこしくなったのてわはないかと思うのでそこは触れないでおく。現代科学という宗教を一応信じてこの世を神が7日で作ったと思っていない人間としてはやはりこの立場が強くなる。中略。


わかりもしないのに風呂敷を広げて本題へのたたみ方がわからなくなって面倒になったので終了。哲学は何の役にも立たない。メシを喰え。