生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

現実空間とローディングとMOTHERのマップ

労働からのマスタリング、と思ったらスケジュールを勘違いしていてただの遠回りした帰り道になる。それはそれで味があって楽しいものだと言い聞かせる。珍しくバス移動もしたし。
東京で電車を使った南北の移動というのは本当に不便だ。車道は環状線なりなんなり移動手段があるのだけれど電車は山手線の届くところまで出なければいけない。武蔵野線は弧が大き過ぎるので除外。
バスで山手通りをダラーッと移動したのです。原付でちょこまか動き回るようになってから都内の南北の道の認識が若干増してきたので「あーこれ山手通りなー」という気分になりながら揺られていたわけです。
本当にとりとめのないことを書いているな。それもまぁ良いのだ、ひっそりとした垂れ流しの場であるし。
結局自分の勘違いでマスタリングは来週だったので代々木八幡の駅まで歩いてそばを食って帰ったわけなのだが。
代々木八幡駅と山手通り?があんなに高低差があって交わらない構造になっているのに初めて気がついた。それぞれ別個には認識していたのだがその空間が繋がった瞬間の体験はなんとも言い難い。
中学生ぐらいで免許も何もなかったころは丁度RPGで街に入ったりフィールドが切り替わるたびにローディングで画面も切り替わる感覚だったのだが、高校生の頃、恵比寿と渋谷が徒歩で歩いて行けると知ったあたりからRPGでもMOTHERのフィールドを知った時と同じ衝撃があった。その前から秋葉原御茶ノ水を歩いて移動はしていたのだが渋谷と恵比寿だとか青山と代々木だとか、都心の大きな街(メガテンに出てきそうな)が繋がっているのだというのがなかなかビックリした。当たり前といえば当たり前なのだが電車や車という別空間の切り替えローディングなしで地続きなのだ。世界はCD-ROMではなくカセットでできているのだとでもいうような妙な感覚だ。それを今日も味わった。それだけでも楽しかったのでよしとしよう。