生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

フューリー

スピルバーグの「プライベートライアン」を越える戦争映画で、いやらしい博愛主義もなく映画マニアとして素直にお勧めします。汚れきった兵士や戦車の装備関係もダントツで、腹に響く衝撃など一度はお試しあれ。

小林源文(漫画家 兼 イラストレーター)

ゲンブン先生がそこまで言うのならば間違いないだろうと思って観に行くと、これは確かに博愛主義も愛国心もクソもヘッタクレもない、それこそ「クソ」のような戦争の空気を徹底的に、肯定もせず否定もせず描いている最高のクソ戦争映画でした。

1945年4月、ナチスドイツ降伏の一ヶ月前最後のドイツ侵攻の設定。もはや戦局としては勝ち戦であるはずなのだがヨーロッパ北部の暗い空とぬかるんだ地面、鬱屈としたトーンが全編を通して漂っている。

何が驚いたかってそこまで死人、死体の描写をしつこいほどに映すその執着心。米軍駐屯地もトラックに屍体の山、はがれた顔の皮、街道にある服以外溶けた屍体。

逃亡したドイツ国民たちも「私は敗北主義者です」的なカードと共に吊るされていたけれども、このあたりヒトラーユーゲントや国民突撃隊あたりは誇張した解釈がありそう。

残酷で陰惨で、嫌悪感を抱かせる要素が満載でありながら心のどこかで興奮してしまうくそったれの戦争。

世界に6台しか現存しないVI号戦車ティーガーIの実物(たしか完動品は1台だとか)を博物館から引っ張り出してきてM4シャーマンと対決させるシーンはミリヲタ的見所。がルパン最終話ぐらいアツい。

予告編で出てくる話、この映画のクライマックスである戦車1台人間5人で300人のナチス武装SSに立ち向かったっていうところはさすがにちょっとどうかと思うところがあるというか、M4シャーマンなのに街道の怪物KV-2ばりの強さを発揮していてどうなのコレ。そこは映画だからの一言で済ませるところなのかと思うけれどもさすがにちょっと。

しかし最初から最後まで博愛主義もなく、何が正しいかもなく、胸糞悪い血と泥にまみれたドンパチと屍体をひたすらに描き続ける執念はやはり強烈。

ちょくちょく出てくるキリスト教の信仰と、引用された聖書が観客に対してどのような印象を与えるのか、ここが日本人だとわからない部分でもあったのでもう一度見返したい。

わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。 

 イザヤ書6章8節

 

ところでタイトルであり戦車につけた名前であるフューリーっていうのはナチスSSに対する憤怒、そしてこのクソッタレな戦争と現実に対する怒りということでよろしいのかな。