生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

海洋国家日本の構想 著:高坂正堯

半藤一利の「昭和史」以来のとんでもなく面白い本に出会ってしまった。

1965年の本である。51年前である。1963年、中央公論に掲載された「現実主義者の平和論」を皮切りとした論文集。短期連続掲載されたため一貫した流れが通奏低音として響いている。

当時はソ連が存在し中国と国交正常化もされておらず、沖縄はアメリカの施政権下にあり、ベトナム戦争もまだ起きていない。ちょうどキューバ危機が終わった頃だ。

 55年体制で与党は自民、野党は社会党の時代。

にもかかわらずほとんど古い本であることを感じさせることがない。細かな時代の変化こそあれどここで論じられていることは今現在の日本に置き換えても通じることばかりである。

あとがきにもあったが、著者本人の性根はロマンチストでありながら政治学者として現実主義者の視点に徹して語っている。中立平和は思想ではなく状態であり、そこへ辿り着くために自衛の軍備が必要になることを否定しようとはしない。日本の政治構造の抱える欠点、外交政策核の傘、日本のアメリカ及び中共との距離、中国のポテンシャル、「極西」であり「東洋の離れ座敷」である日本のアイデンティティetc... 平易な言葉で理路整然と、しかし驚きを与えてくれる。

冷戦の時代には、日本は米ソだけが作り出す力の構造のなかで、力の闘争から棄権しながらこれを利用し、一方では米ソの権力政治を批判していればよかった。そして政治家と知識人は無意識のうちに、いわばこの役割を分業してきたのである。政治家は利用し、知識人は批判した。

「いかなる国の核実験にも反対」という何人も反対しえないが、まさにそのことゆえに無意味なスローガンは、この時代の日本人の国際政治観を代表するものといえるだろう。

最終章である「海洋国家日本の構想」においてはかつての大英帝国の歴史から海洋国家としてのモデルを見出し海洋国家が貿易や産業においてどれだけのアドバンテージを持つか、更に今までは軍事と貿易としての意味しか持たなかった海洋が海底資源という価値によって変質してくるであろうことを予言し、国際秩序と国民的利益のための海洋調査にこそ未来があるのだと最後の最後で筆者のロマンティシズムが炸裂する。

実際にはこの論文の中で指摘されていた欠点を今もまだ引きずったままの日本であったり、東シナ海ガス田問題など海洋資源など後手後手になっていることが皮肉ではあるが、50年前の本がここまでの見通しを立て予言しており今読んでも遜色ないことは驚嘆に値する。

日本はもはや厳密にはアジアではなく、かといってヨーロッパでもない。その間に立つバランス能力が問われている。

本当はもっと細かく拾い上げて話したいのだが眠気に任せて走り書きするだけにしておく。高坂正堯先生の他の著作も大変気になっております。

海洋国家日本の構想 (中公クラシックス)
高坂 正堯
中央公論新社
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