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mochilonという人のブログ

世界史の中から考える 著:高坂正堯

その結果、アジアはひとつであり、日本がその盟主であるという考えが、知的検討抜きに定着してしまった。日本が中国を指導するのは歴史的使命であり、その考えを受け入れない“抗日”の蒋介石をこらしめるのも当然ということになった。そして、最後にはその使命を遂行するのを妨害するアメリカと戦うことになった。その連関は論理的にはあやしいものだが、心情論理的には疑いえないものであった。 今日、中東地方で「アラブの大義」といった言葉を政治家が用い、大衆が酔う状況を思いおこしてもらえば、戦前の日本の状況も理解できるだろう。

 209頁 アジア主義はなぜ生まれたか――日本政治史から考えるXI

なぜ日中戦争という泥沼に足を突っ込みながら更にアメリカへ宣戦布告をするという愚行を犯してしまったのかについて、驚くほど明快である。「日本の大失敗は西洋への対抗とアジア支配が結びついてしまったところにその基本的原因がある」のだ。この段落を読んでその核心を突きながら簡潔な文章に思わず唸った。その通りだ。

先日読み終えた高坂正堯氏の一冊目の単行本『海洋国家日本の構想』が大変面白かったので、今度は最晩年に書かれ本人の死後刊行された『世界史の中から考える』を読んだ。

内容は1991年から1994年にかけて連載されたコラムをまとめて書籍化したものである。長編ではなく、かといって時事評論でもない。しかし時代に即した関心を誘うテーマを歴史の知的宝庫から拾い上げてくるコラム集である。

例えば「バブルで亡んだ国はない」という連作で「オランダのチューリップ投機」「英南海会社泡沫騒動」などを取り上げ、日本が1991年からのバブル崩壊で揺れていた時期に「三流の国が二流になり、やがて一流に手が届こうとするときにおこるものである」と定義し、17世紀のオランダ、18世紀の英国、大恐慌の頃のアメリカ、ビスマルクに時代のドイツ帝国を挙げてそれぞれの国のバブルにおいて人々がどう対処し、何が良く何が悪かったのか、その時代や国の背景を含めて語られている。

他に語られているテーマも様々なもので、18世紀英国のホイッグとトーリーの時代の議会制民主主義誕生にまつわる話であったり、田沼意次に対する評価であったりする。

ロンドン軍縮条約において対米七割において実質0.6975であることに軍部は憤慨したそうだが、そもそもの国力の差からして軍縮会議の場に持って行けていること自体が有効であり、その中で米国の態度への対応と国民世論の板挟みをどう調整するかに腕をふるった山梨勝之進の話。

石原莞爾の『世界最終戦論』に対する正しいと思える一側面から始まり日独伊三国同盟のミスを取り上げ「彼らは彼らなりに必死になって考えて、かつ失敗したのであり、そのように限定してその失敗をもたらしたものは何かを理解して歴史の真実の理解となる」として当時おかれていた状況、情報から立ち上がってくるであろう歴史の当人たちの味わった感情や世相を含めての空気にこそ学ぶべき重みがあることを訥々と語りかけてくる。

我々は歴史から何を学ぶことができるのか、歴史から学ぶということはどういうことかを問いかけ、考えさせてくれる一冊であった。

世界史の中から考える (新潮選書)
高坂 正堯
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