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生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

シン・ゴジラと石破茂『職業としての政治 著:マックス・ヴェーバー』

 ヴェーバーである。マックス・ヴェーバーである。

高校の社会科教師に学校一の変人名物教師がおり、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』を教えられた記憶がかすかにある。もはやあれが公民の授業だったのか、何の科目だったかすら思い出せない。だが、歳を重ねるごとにあの授業を真面目に受けておけば良かったという念が強まってきた。

更に言うなればシン・ゴジラである。石破茂である。

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 国家とは何か、ということを別の言い方をすると、軍隊と警察という実力組織を独占する組織体だということです。これが国家なんです。マックス・ウェーバー流に言えば「暴力装置」なんです。かつて仙谷さん(由人氏=民主党政権における内閣官房長官)が言って大問題になったんですけど、仙谷さんはマックス・ウェーバーをちゃんと読んでいた。実力組織と暴力装置というのは、本質は同じです。要するに軍隊と警察という実力組織、マックス・ウェーバー流に言えば、暴力装置を独占的に所有する主体が国家です。だから国家とは何か、国家主権とは何か。警察とは何か、警察権とは何か。軍隊とは何か、自衛権とは何か。そういうことを整理する意味で、あの映画ってどうなんだろうねと言う議論は、あって然るべきでしょう、と思うのです。

国家主権とは、警察権とは、自衛権とは。思わずたまらなくなってマックス・ヴェーバーの『職業としての政治』を手に取った。 

「あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理ではない。」とは表紙にかかれてある紹介だ。暴力装置!なんと危なっかしく魅力的な響きであろう。僕はすっかり怪獣映画にワクワクする少年のような気持ちでこの本を読み始めた。

しかして内容は破壊と暴力のスペクタクルかというと全くそんなことはなく、そういったものを徹底的に切り分け、情熱と理性を交互に使い分けながら政治及び政治家というものについて丁寧に論じている力強く、そして難解な書であった。

この本は1919年1月にヴェーバーがドイツ・ミュンヘンにおいて学生団体に向けて行った公開講演の講義録である。ページ数にして100ページちょっとの講義録だ。しかし1919年のドイツとは即ち第一次世界大戦に敗戦、ドイツ革命が起き帝政が終わりヴァイマル共和国が生まれたばかりのまさにその時である。この時点で把握すべき点が多く、更に当時の英国や米国(無論現在もシステムそのものは変わっていないが)の政治システムが引き合いに出される。まだまだ自身の勉強が足りないことをひたすら思い知らされるばかりである。

恐らくロシア革命による共産化、ドイツ革命による共和国の誕生などによりインテリ学生たちは熱に浮かれていたまさにその時、内心苦々しげに、そして冷静に政治の在り方、政治家に求められる資質について語る。

「政治にタッチする人間は、権力の中に見をひそめている悪魔の力と手を結ぶもの」であり「燃える情熱と冷静な判断力の二つを、どうしたら一つの魂の中でしっかりと結びつけることができるか、これこそが問題である」。単に権力の魅力に飲まれるという話だけではない。社会のため、他者のため、というロマンティシズムに酔ってしまうこともまた悪魔なのである。この辺りの「心情倫理的」と「責任倫理的」という下りに対しては今回の通読で十分な理解が得られなかった。時を置いて読み返したい。

それにしてもこの講演の後にヴェーバーも関わったヴァイマル憲法が制定され、世界で最も民主的な憲法とされたにも関わらず20年後その憲法のシステムの下、ヴェーバーが最も危惧していた考えを持った男が「ドイツのため」と喧伝し、天才的デマゴーグとして君臨してもう一度ドイツを滅びへと導いていったのかと考えると非常に皮肉である。

だが、その皮肉ゆえにこの書の評価はより高くなっているのではなかろうか。

職業としての政治 (岩波文庫)
マックス ヴェーバー
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