生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

石田三成がモシャモシャしていない関ヶ原

九月三日、晴れ。

NEW GAME!を流しながらダラダラ過ごす。そういう日があってもいいじゃないか。

みょうがの卵とじ(柳川風)を作る。美味い。

おろしれんこんハンバーグを作る。改良の余地有り。

あまりダラダラしていても仕方あるめぇと『関ヶ原』のチケットを取って駆け込む。

石田三成がモシャモシャの兜を被っていないだけで観る価値があると思って行ったが、モシャモシャの兜を被っていない分ぐらいの価値はあったのではないでしょうか。

手放しで褒められる名作ではないけれど2時間半の中に茶坊主石田三成が拾われて秀次とその侍女たちが処刑されて秀吉が耄碌して死んで石田三成と七将のゴタゴタや襲撃事件をやって北政所淀殿の思惑やその間の徳川家康本多正信のニタニタなどをやった上で関ヶ原本戦まで描こうとしたらまぁ収まるわけがないので、視聴者には関ヶ原の合戦の知識がある前提でとしか思えない猛スピードで台詞と展開が詰め込まれてゆく。

聞き取れないほどの台詞のスピードや感情の乗り方はある意味時代の怒涛の流れを表現しているような気がしてそれもまた良しという気になってくる。

更に名古屋弁や鹿児島弁指導が入っているので秀吉ねねの会話や島津の連中の言葉は本当に何を話しているのかわからない。「もっそ」「よか」「ごわす」と「夜襲」しか聞き取れない。完全にへうげもの気分になれて素晴らしい。

2015年版『日本のいちばん長い日』を観た時と同じなんともいえない、悪くはないが晴れ晴れとしたわけでもない気分で劇場を出る。エンターテイメントと監督の詰め込みたいものの比率というものに思いを馳せる、そういう作品であった。

ただ一つ、火縄銃は木の盾では防げないので竹束が使われていたのに、この映画には竹束が一度も登場しない。構想20年で時代考察がこんなザルなのはどういうことか、と思ったら時代考証のスタッフが中近世社会経済学の先生と秋葉原の武器屋の二名であり、恐らくすべてはこの秋葉原の武器屋(と監督)の仕業だということにして締めくくる。