生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

鹿児島観光珍道中二日目

十一月十日、晴れ。

示現流資料館へ行き、示現流の歴史、書物等を観る。江戸前期にあたる初代が書いた書物などが平然と現物で残っておりゴロゴロと展示してあることに衝撃を受ける。

こんな流派の人間が襲いかかってきたらまぁまず常人では勝てないだろうなということだけは強く納得する。

島津家墓地である福昌寺跡へ。かつては1500人の僧侶がいる巨大な寺だったそうだが、現在手前には大きな高校が建っており、寺としては機能していない。歴代藩主の菩提寺すら潰す明治の廃仏毀釈の恐ろしさを感じる。恐らく墓石も狭い空間に無理矢理詰め込んだであろう配置となっており、何かゼルダの伝説の神殿のような妙なスピリチュアル空間が広がる。義弘、久保、亀寿姫などの墓をみていたところ、久保が朝鮮でかわいがっていた白地に茶トラの「ヤス」と同じ模様の猫たちを見かける。ヤスの子孫なのだろうかと感慨に耽る。猫は可愛い。

レンタカーで一気に西へ移動、日置市へ向かい一宇治城跡を観る。このあたりから鹿児島のシラス台地によって形成された異様な山の形状に気付きはじめる。山水画のような山々がそこらじゅうでデコボコしている、おかしい。ここが島津貴久による三州統一の足掛かりになったのだなぁと感慨に耽る。

向かいの山に島津義弘菩提寺である妙円寺があるのだが、明治の廃仏毀釈によって起きた妙円寺と徳重神社のゴタゴタ話を読んでテンションが下がり、伊集院駅前の島津義弘像を眺めて帰る。義弘像も駅前のロータリーの都合で移動準備中であり、近くで観察することがままならなかった。来年の大河ドラマに向けて鹿児島の観光地はあちらこちらが整備中のようだ。

鹿児島市へUターンし、日が暮れて資料館本体が閉館した鹿児島城へ行き石垣や周囲の石碑などを眺めて周る。西郷隆盛最後の地だけあって観光のための整備工事がバリバリ行われており、テレビの力や観光の官軍の力を感じる。宝暦治水事件の薩摩義士の墓碑にお参りをする。

鹿児島ラーメン豚とろを夕食に。とんこつラーメンすら甘い、衝撃を受けるがそろそろこのなんでも甘い文化に慣れはじめる。