生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

打ち合わせフル回転とジョアン・ジルベルトの話

九月十一日、曇り時々雷雨。

とても良い寝覚め。覚醒はとてもゆるやかで遅いものだったが起きた後は調子が良い。

急遽発生した作詞ミッション、ない頭を捻って語彙を引きずり出す。

打ち合わせ@新大久保。妄言が飛び交う。

昼間の歌舞伎町は黒塗りの車が並び、それを紺色のスーツで角刈りのいかめしい舎弟たちが警護していた。

新大久保は原宿竹下通りが失いかけている役割を担い始めている。

昼下がりの新宿ではホームレスの老人たちが所在なげに道行く人々を眺めていた。手に入れたワインのコルクが千切れてしまい、いかに中の酒を手に入れるかニヤニヤしながらアレコレ策を巡らせているオッサンを見てこちらも思わず笑顔になる。

タワレコでパソコン音楽クラブのアルバムを購入。

帰宅、作詞の続きに取り掛かっていると今年一番の夕立が降り、雷がそこかしこに落ち始める。あまりにも雷が近いのでデスクトップPCのコンセントを抜いてラップトップに作業を切り替える。

ボンヤリしてもう一つ打ち合わせがあることを失念していた。なんとか間に合って打ち合わせ二件目。新しい発注があるのは大変有り難い。ぶりかえした残暑の中チャリで奔走して人と話してなかなか疲れもしたが収穫もある一日にできた。自分に花丸をあげよう。

腹ペコで再度帰宅、カラフトシシャモでない本家ししゃもを焼いて食べる。非常に香ばしくパリパリとしており満足のゆく食事。

折角わざわざCDを買ったのでリッピングせずそのままかけて聴いてゆく。正直ブラインドテストでもしないとmp3との違いなぞわからないのだが、もはやCDを入れる行為もレコードのような特別さを感じるように。

ジョアン・ジルベルトのライブ盤『João Gilberto / Live At The 19th Montreux Jazz Festival』、「A Felicidade」が素晴らしい。細馬宏通氏は「うたのしくみ」の中でジョアンとボサノヴァについて触れており、ボサノヴァは同じ歌詞を何周も何周も歌い続けることで高揚感を生み出すという解説をしていが、まさにそのボサノヴァのリピートによって聴衆が徐々にたかぶった果てにA Felicidadeの合唱を始める。そしてその詩はこうだ。

Tristeza nao tem fim, felicidade sim.
悲しみには終わりがない、幸せには終わりがある。

会場が感極まって終わりがなくなる瞬間。その声は終わりがない悲しみに対するやりきれなさ。悲しみを一瞬忘れ去ることができる喜び。幸せが演奏とともに数分後に終わってしまうことへの寂しさ。まるでこの一行の歌詞のリピートそのものがボサノヴァのリピート構造の縮図のようになっている。ジョアン・ジルベルトの人生には終わりが来てしまったが、この録音の伝承に終わりはない。

うたのしくみ
うたのしくみ
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細馬 宏通
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