生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

天気に流されて内省的になる。

十月十五日、曇り。

10時前起床。調子が悪い、急に気温が下がったせいだろう。どうにも動きづらい。

一旦起きて朝食を摂り、僕ヤバ最新話を読んで昂ぶる。その後結局どうにもダルくてあずきのチカラの儀式を行うと時間がワープする。

15時。僕ヤバ検証に釣られて今までの分を読み返していたら16時半になっている。このあたりで今日はダメな日であることに自覚的になる。

ダメな日なりの最低ノルマを達成しなければなるまいと思いDAWと向き合い、最低限ノルマを達成して書き出し、メールを送って精神力を全て使い果たす。

寝る、インターネット、仕事以外の健全な選択肢としてIndivisibleを行う。これは英語のリスニングの勉強を兼ねているからサボっているわけじゃないし、無為にツイッターを眺めるよりずっといいんだと自分に言い聞かせる。

今日の天候が調子と関係していることを悟って湯を汲んで湯船に入る。電子で『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』を試し読みしていたら思った以上に刺さる内容だったためそのまま割引中の今購入。

休日明けは必ず台所が混沌になっている。朝から皿洗いに対して気が重かったのだがいつまでもサボっているわけにもいくまいてと思い腹をくくって皿や鍋を洗う。洗ったところで力尽きる。今日は釜揚げうどんとサラダです。

 

坂本龍一のアルバムで一番好きなのがピアノトリオ編成である『1996』なのだが(Jaques Morelenbaumの変態チェロと元NYフィルコンマスヴァイオリニストのDavid Nadienが組み合わさった「Rain」が白眉)、2012年に再びピアノトリオ編成のアルバムを出していたことを知らなかった。1996とはまた違う楽曲達があの張り詰めた空気で聴けることは素晴らしい。

 

僕はChance The Rapperについてほとんど知らない。ラッパーのミックステープ文化についても疎い。「No Problem」で急に出てきた人という程度の認識だったし、Brasstracks初来日の時も彼らの存在を知らなかった。ちゃんと聴いてみよう。1stから。なんとなくそう思ってかけていた。

 

ジャズ漬けだった大学時代、Wayne Shorterは大量に聴いた記憶があるのだが、ウェイン黄金期1965年に録音されながら1979年に発表されるまでお蔵入りしていたこのアルバムは何故かあの時聴いていなかった。なぜお蔵入りだったのかはジャズ親父たちのブログであれやこれや言われている。録音が悪いだとかマッコイのピアノが人選ミスだっただとか。しかし全盛期のジャズメン達の録音で管楽器の三人が黒魔術のような楽曲の上で盛大に暴れまわっているだけでこの盤には十分な価値があると言えるだろう。

 

Glenn Gouldが演奏するバッハのイタリア協奏曲。このカラッとした曲と演奏が無性に聴きたくなる。俺はグールドのイタ協になりたいんだ。そういう時は大抵とても内省的になっている。

 

ベートーヴェン弦楽四重奏曲が好きだ。ブダペスト弦楽四重奏団のステレオ録音を俺の墓に入れてくれ。これはグールドのイタリア協奏曲などと同時に出る発作です。

クイケン兄弟、ピリオド楽器(作曲された時代と同じ時代や当時を再現した様式の楽器)を用いて当時演奏されていたスタイルを踏襲していく、オタク的言い回しだと原作至上主義者集団のリーダーである。20世紀のロマンティックで大仰な演奏を取り払って薄味でカラッとしている。豚骨醤油ではなくて塩、そういう演奏。たまに聴くとこれはこれでアリだと思わされる。