生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

50年代のパーロフォンがいかに旧態依然としていたか

五月十七日、曇り。

結局徹夜をした後朝食。寝付けないのでジョージ・マーティン自伝を読んでしばらく過ごす。

11時頃に気絶。目を覚ますと16時になっており仰天する。

子を沐浴させる、ギターを弾く、飯を食う、大河ドラマを観るなどして過ごすと夜。

もう少しギターを弾く。箱モノギターが欲しいという煩悩に取り憑かれており、これを振り払うためにストラトキャスターに向かって「お前は箱モノだ」と唱え続けながら弾く。奏者が上手くなければ何を弾いても同じだ。そしてこのストラトは良いものだ。

そうこうしているうちに深夜。昼夜逆転しているとまずいので寝なければ。

マイアヒからマイアヒへ繋がるピアノ男のDJ

五月十六日、曇り。

何時に起きたか記憶が定かではない。午後二時には意識があった。

ジョージ・マーティンの自伝を読み始める。

Twitchで三度目のMU2020を観ていた。

深夜に子の面倒を見る。子の面倒を見たりジャズギターのコンピングの練習をしていたら一日が終わる。終わるというか朝になる。朝になっても眠くならないのは困る。

 

ジム・ホールになれたらいいけどなれるもんじゃなし

五月十五日、曇り時々雨。

ああ、DAWで音楽を作るときも触覚にフィードバックがあればいいのに。

楽器を触る度に思っていた物足りなさは触覚だったのかもしれない。画面の中のシンセサイザーのツマミをどれだけいじっても楽しくならない。MIDIキーボードで弾くピアノもリアルじゃない。それでテンションが上がらない。今日はそういうことにしておく。

昨日がヘヴィだったのでよくわからない気絶ぶりを発揮、11時か正午ぐらいに目覚める。

あつ森以外何をしていた?寝ていた?ジム・ホールについて調べていた。

晩年のジム・ホールがどれだけヤバいのか、どの音源がヤバいのか掘り下げようとしていたのだが、やはり1975年の"Jim Hall / Live!"などが直球でヤバい。2000年ぐらいになるとワーミーエフェクターを使っていたりしてなかなかクレイジーなのだがアルバムとして名盤となるとそこまでのものがなさそうだ。

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2007年のこれなどがワーミーが爆発していて晩年になっても新しいスタイルを突き進み続けるジム・ホールを感じられる。アルバムだとMagic Meeting(2005)あたりになるのだろうか。

 

Live!はヤバい。

 

すぐ影響されてフルアコのギターが欲しくなったりする。フルアコのギターが高すぎてドン引きする。

深谷市はもはやあと一歩で群馬県

五月十四日、晴れ。

子が0時半、2時半に起きて面倒を見る。ゲッソリ。

昼まで寝て起き、夕方眠くなった頃にグズって眠らない。更にゲッソリ。

寝かしつけて自分が23時まで寝る。生活リズムがダダンダーン。

昼何をしていたかというと、『SRサイタマノラッパー』を観ていました。

2009年の映画、11年前だというのも当然あるのだけれどラップのフロウが古い。劇中の登場人物が冴えないから演出として古臭いのか、10年以上前の作品だから古臭いのかの判別がつかない。ORANGE RANGEnobodyknows+を三番煎じにしたような……

あとは自主制作映画での予算、演技の空気を優先するカット割にしたからだとは思うが、音声のアラが目立つ。同時録音でセリフが聞き取れなかったかと思うと、急にアフレコに切り替わって音量が上がる。無論本筋は非常に良く出来ているのだが。

 

生活リズム戻らないちゅらい

サックスのようにギターを弾き、ギターのようにサックスを吹く

五月十三日、晴れ。

夏のような雲。外には出てないが。

たんまりと寝ていたら正午。もうこれ以上アークナイツに走らされなくていいんだ。

インターネットではみんな連チャンパパの話をしている。ニュースはずっとSARS-CoV-2と検察官定年延長法の話だ。テレビはどの局もスタジオ収録が減ってビデオ通話出演や過去番組の再編成になっている。

子、生後31日なので数え方によっては今日が生後一ヶ月である。信じられないほど豪快なゲップを出したり、ベッドで30度以上回転していたり、うめきながら屁をこいたりとても力強く賑やかである。逞しく育ってくれるならあとは何でもいい。

あつ森でフルーツを売りさばき、植林をし、魚を釣り虫取りをする。他人が作った変なデザインを床に貼ったりできないのでまだ本番という感じがしない。

ちょっとまだ疲れており、夕方は寝て過ごす。

英雄たちの選択スペシャルのペトラ、ナパテア王国の回を見る。古代ローマの時代の文明はどこも恐ろしい。

何か自分が現実で起こしたアクションが少ないな。蟄居しているからギターの練習か仕事、読書、もしくはゲームぐらいしかアクションはないのだが。

 

ずっとチャーリー・クリスチャンを聴いている。このフレージング、ドミナント7thコードの際に5度から3度へクロマチックで下降していく手癖、ジャズである。デューク・エリントンの楽曲や細野晴臣のSimoonにあるようなフワッとした極楽感があるのだがキャッチーではない旋律。好きだなぁ。

おやすみさせていただきました

五月十二日、曇り。

昨日は歯磨きも風呂も何もかも放置して寝る。弱っていた。胃が重くて精神力が落ちる。

今日は一日ダラダラさせてもらう。ダラダラする間に延々とアークナイツの周回をするソ魂縛状態だったが……

本当にダラダラと寝ていた。そして本当に周回をしていた。

子の沐浴だけは行う。どんどん成長してレスポールとアルダーボディのエレキベースの間ぐらいの重さになってきた。アッシュボディのベースを超えたらあとは米俵としか言いようがない。

ハンバーガーちゃん合同誌が届く。まだ読んでない。

あつ森二日目、フータが来てスコップとたかとび棒を手に入れる。任天堂のゲームにログインボーナスやクエストで振り回されて小突かれるのはなんだか少しだけ嫌な気分だ。どうぶつの森はそんな難しいゲームではないのだからもっと突き放した感じが好きだったのだが、これが時代の変化なのだろうか。無人島へ行くのに四六時中スマホをいじくり回すというのが初っ端から巨大な皮肉を言われているようだ(大昔、ゲーム批評どうぶつの森をやり終えてゲームから皮肉を言われた気分だというレビューがあったのを思い出す)。初っ端からクリボーにぶつかると死ぬとか、巨大な蜂のロボを倒すと高速道路が落ちて三角蹴りをして壁を登るように仕向けられているとか、文字でくどくど説明されないような設計のゲームを作れるのが任天堂じゃないのか……

明日からまた子育てと仕事の両立をがんばりましょう。

液晶を延々と見ていると目が疲れてそこからやられるから気をつけろ

五月十一日、晴れ。

いつものように十一時頃に起床する。

ソ魂縛状態で更にどうぶつの森を始める。GCどうぶつの森+をやって以来、あの最後に訪れる虚無が嫌で一切触っていなかったのだが、グラフィックの劇的な進化を感じる。植生や虫や魚の細かさなどは本当に教科書レベルだ。借金返済ゲームのような目的に突き動かされるプレイをすると虚無が待っているのだが、細々としたクエストが存在していそちらへ突き動かす動力をゲーム自体が内蔵しているので中々悪質だ。

昼寝の後、子の沐浴。この辺りで胃が重かったり全身がダルくて不調になり始める。

夕食などの時はあまり問題なかったのだが、夜風呂に入る気力が起きないあたりで黄色信号。そのまま寝る。