生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

1984年(著:ジョージ・オーウェル 訳:新庄哲夫)

螺旋人リアリズム ポケット画集

「新語法(newspeak)」と管理社会によって生み出された 「勝利ジン」「二分間憎悪」「愛情省」といった独特の言葉の数々、作品に漂うどうしようもない淀んだ空気、そうでありながらも暴力的で魅力を携えたディストピア。合成で作られ機械油のような臭いがする「勝利ジン」や「桃色がかった灰色のシチューを盛った金属皿」に質の悪い「勝利コーヒー」、砂糖が出回ることはほぼなく配給されるのは全てサッカリン

電気は停電し、水道は詰まり、壁の向こうにはネズミ、プロレ階級のベッドには南京虫トコジラミ)がたくさん張り付いている。正直あまり住みたいとは思わないが退廃的で魅力的な世界観が広がる。

マゾヒズムをゾクゾクとくすぐるような省庁や党の描写もプラスグッドなのだが、個人的にはそこから抜けだした党の監視の目が及ばないプロレ階級の部屋や自然の中でのシーンが強く印象に残る。

若くて弾力のある肉体は、いまや頼りなげに眠りこけていたが、その姿は彼の心に哀れみとかばってやりたいという感情をかきたてた。しかしツグミが囀っていた時、ハシバミの木の下で感じた無心のやさしい心はついに戻って来なかった。

迫り来る死という冷厳な事実が、二人の横たわるベッドと同じく確かなものに思えて来る時もあった。そして彼らは絶望的な情欲に駆られながらお互いにしがみつくのだった、運命の定まった人間が最後の時を告げる五分前に、残されたひとかけらの楽しみにかじりつくようなものである。

こういったジュリアとの一時の穏やかなシーンや、夢や回想の中に出てくる母の姿は晩年のオーウェルが夢見た郷愁の念、父祖の地であったスコットランドのジュラ島を映し出しているのではないだろうか。

それはビルマ勤務やスペイン内戦の体験によって生み出された殺伐としたこの作品の政治の世界から抜け出したい心の一部であるのかもしれない。