生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

レオニダス王と300人の仲間たち

三月六日、晴れ。

10時半起床。パンを流し込んで医者へ。

医者、図書館と行って帰宅。

昼飯にコロッケ蕎麦を食いながらAmazonプライムで『300』を観る。

テルモピュライの戦いからペルシャ戦争および古代ギリシャ(とアケメネス朝)に対して興味が広がったものの、古代ギリシャの歴史と地図は一瞬で覚えられるものでもなし、Wikipediaを拾い読みしているうちに山川の世界史に戻る必要性を感じてくる。ヘロドトスを読んだりイーリアスオデュッセイアにまで手を広げたくなる。

『300』主演のジェラルド・バトラーアッティラ大王を演じた『覇王伝アッティラ』というB級映画もあるらしく同時にローマ帝政末期にも興味が飛び火してもはや回収がつかなくなる。

『300』そのものは誇り高きスパルタの男たちの生き様と戦いを筋肉で描き、ザック・スナイダーのバリバリVFXで大量のペルシャ軍、隘路テルモピュライの岩壁、だんだん山田風太郎めいてくるペルシャ軍のトンデモ兵士たちで迫力とエンタメ感を出しつつ、ほどほどのところで本筋に戻って描ききる良い匙加減でした。スクリーンで見たほうがより陰影が綺麗だろうな。

春眠暁がどうの状態であり、その後はすっかり眠い。もう仕事とかしないで寝たい。

 

NWOBHMおよびそれ以前のハードロックバンドたちの区別やその流れでどう音楽性が変化してきたかというあたり、メタルをあまり聴かずに過ごしてきたので知らなかったのだが、1980年というNWOBHMの衝撃の中で既存のメタルバンドであったJudas Priestがどのように舵を取ったかを如実に感じるアルバム。いやJudas Priestロクに聴いたことなかったのだが。ここから「メタルゴッド」と呼ばれるようになるわけであり、雑にわけるとNWOBHMの流れがメタルなんだなというお気持ちがある。