生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

君はロックを聴かない

一月二十日、晴れ。

胃が重い。午前配達の荷物があるとそれを受け取るまで身構えて何かする気が置きない。まんじりと、ゴロゴロしてしまう。そんなことはないはずなのだがな。インターフォンの音が小さいので作曲していて聞き逃した事例は既に発生している。インターフォンの音量を改造して上げられないだろうか。というかインターフォンそのものを新しくしてくれ。

NHKスペシャル認知症の第一人者が認知症になった』を見ながらメシを食う。皮肉でもあるし、研究が本当の完成に至る感動的アプローチでもある。そしてただ一人の人間のドラマでもある。「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」とは永六輔が記した言葉だそうだが、まこと人生というものである。当事者は未来を知ることができない、その時になって初めて体験するのだ。

眠りの浅さ、胃腸の衰弱などが相まって体調が悪い。やる気が出ない。なんとかケツを叩いて15時からファミレスに転がり込んでカンヅメ作詞作業を始める。

ひとまずワードは埋まった。埋まったがどこかいびつなジグソーパズルを作ってしまったようで煮え切らない。とはいえ埋まったことには埋まったのだ、調子の悪いまま考え込んでも良い案は浮かぶまいと切り替えて撤退。

まったくやらないつもりだったアークナイツを触ってしまう。ソシャゲのリセマラってWizardryのキャラクター作成やドラクエのレベル上げのような、ファミコンのAボタンをポチポチ押すだけの行為に非常に近い気がする。何も考えたくないがある程度の達成感を得たい時、そういう時にやってみたくなる。Wizardryのキャラメイクはありとあらゆる場所でできるようになりたい。そして使いもしないステータスボーナス60の忍者が量産されてゆくのだ。

胃が死ぬとつらい。去年のパセリをジェノベーゼソースにして冷凍したものをひっぱりだしてペンネに和える。油が重いチョイスをしてしまった。そして塩か旨味か、何かが足りない。ジェノベーゼソースの旨味のキモとは何だ。にんにくか、松の実か、はたまた粉チーズなのか。粉チーズのような気がしてきた。ナッツの油も大事そうだ。

リングフィットアドベンチャーをほんの少し。実働7分でもヘロヘロになれる。やろう。ちょっと飽きてきて忙しさと合わさって隔日になってきている。まだ俺は理想の肉体を手にしていない。

 

Mura Masaの新譜をとりあえず一回流しっぱなしにして聴いた。エレキギターが鳴っている。ロックオリエンテッドに育ってしまった側の人間として「こういうサウンドの選択は間違っていない、時代はまだ求めているんだ」という静かな喜びを隠せない。同世代からその下にはヒップホップやテクノ、ジャズなど歪んだ楽器のない音楽しか聴かない人間の割合が多い。エレキギターと衝動はこれから日陰の音楽になってゆくのだという不安はエモラップとMura Masaの新譜によって和らいだ。これも選択肢の一つとなってゆくのだろうか。