生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

子は生まれたが悪いインターネットは続く

四月十二日、雨。

インターネットの悪ふざけなんて基本的にはロクなもんじゃない。

ファイト・クラブ』のタイラー・ダーデンが仕事中にやっていたことのようなものだ。子供向け映画のフィルムにポルノ映画のフィルムを数コマ挟み込むとか、レストランで提供するスープに尿や精液を混ぜ込むとか。本当にそんなレベルの事であり、騒乱計画(プロジェクト・メイヘム)になんてなりようがない、そんなことばかりだ。

そんなことと、子が生まれた事の感慨、子が生まれた事をSNSで共有してひっきりなしいに届く祝いのリプライ。子が生まれたことが祝福されていること自体は喜ばしいことだ。知人に報告するのも社会的には通例だ。だが、その大量の「いいね」によって満たされているお前の承認欲求はどうだ?それは人生において大切なものか?美しいか?重要なものか?子はお前の道具ではない。もう一人の自分が釘を刺す。もう一人の自分が声をかけているうちは大丈夫だ。なし崩し的にそれが消えてゆき、もう一人の自分が消えていた時、お前は親として失格するだろう。

ソシャゲの周回、デイリーミッション、スタミナの消費、そういうものとSNSに時間と魂を奪われ、私が就寝したのは朝の4時であった。(この文章はデジタル・ミニマリズムを試し読みした直後に書かれているのでSNSやゲーム、スマートフォンというものに対して今とても否定的な気分になっている)

9時起床。ホテルの朝食になんとか滑り込む。このご時世である、バイキング形式の朝食は一時休止となっており、本来バイキング向けに作られていたメニューが定食となって提供される。小さな塩鮭の切り身、クロワッサン、芋煮、サラダ、ごぼうの煮物、コーンポタージュ、卵焼き、トマト煮、玉こんにゃく、バターとジャムがたっぷり入ったパン……和洋大乱闘朝食ブラザーズを三角食べしてしまう日本人。そうそう味わうことのない奇妙な体験であった。明日も食うが。

部屋に戻って二度寝。空気清浄機がカタカタと音を立てており寝付きづらい。寝たような寝てないような、曖昧な時間を過ごして14時、知人からLINEが来て会話をしたりまたソシャゲを開いているうちに16時。昼飯を食っていない。外は雨だが意を決して外出。

飯を求めて外出したのだが、地元の楽器屋(軽音楽ではなくクラシックの方だ)に入り浸り、地方都市として最後の良心のような楽器屋の様々なスコアや教本をパラパラと立ち読みする。対位法を再入門して学びたいと考えていた自分に丁度よい本を見つけたので購入。地方都市の良心の存続を願う。

雨の中傘もささず(買うのが癪だからだ)駅前の大通りを歩く。ご多分に漏れずメインストリートはかつて城につながっていた道であり、宿場町だ。一直線でやたらと長い。

モスバーガーを見つけたので遅めの昼食、二食目の飯はモスに決定。このご時世(本日二度目)わざわざ外食をする危機感のなさ、それでも働かなければならないアルバイト従業員の悲哀、閑散としつつ3名はいる客、久しぶりに食べたスパイシーチリドッグの美味さ、いつの間にかマスコットキャラクターのように鎮座するコウペンちゃん、ちぐはぐな経営方針の中で生み出された客単価を上げるための新メニューたちの宣伝、全てを風情として味わう。

すぐ近くの本屋に寄るが、積読が山のようにあるので購入は控える。ギターマガジンLaidBackというオジサン向けの別冊ギターマガジンのVol.2が出ていたので立ち読みをする。特集が「ディープ・パープル VS レッド・ツェッペリン」である。さらに10代20代の若者にジェフ・ベックのブロウ・バイ・ブロウを爆音で聴かせて感想を求めるという説教臭い記事も。まごうことなきオジサン向け、私の出る幕はなし。

ほとんどカードゲームショップになったテレビゲーム屋はこのご時世(三度目)によって対戦スペースが閉鎖されている。

塾はこのご時世(四度目)にも関わらず小学生たちが中学受験のために勉強している。教育が続けられていることは良いことだが、伝染病防止との組み合わせとしてはどうだろうか。どちらともいえない気分に浸りながら雨でずぶ濡れになる。

コンビニで水とアップルシードを買い、近くの飲み屋がたこ焼きテイクアウトをしていたので買って帰る。たこ焼きを食いながらほろ酔い、雨だがハレの日だし良いだろう。

『デジタル・ミニマリズム』を試し読みして冒頭に戻る。