生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

ギター、子育て、ビートルズ

四月二十四日、曇りのち雨。

小学生の考えた「ぼくがかんがえたさいきょうの低気圧」のような気圧が日本列島を覆っている。外に出ないのでほとんど関係ないが、たまにはひなたぼっこをして猫を愛でたい。

恐らく9時過ぎに起床。トースト、キャベツと蒸した卵。巣ごもり卵と呼ぶらしい。

子は順調に育っている。子に追われる生活が今日で丁度一週間らしいのだが、親側は多少の慣れ以外大きな変化が起きていないので「もう一週間」と「まだ一週間」が交錯する。

相変わらず断続的に寝たり起きたりの生活をしている。とにかくまとまった時間で寝られないこととの戦いである。他に託せる相手がいるので少しは寝られているのだが。

ギターメンテナンスの機材をまた買いそうになったので自分を言い聞かせてまず目の前のギターの弦を交換する。Extra Slinky(0.08-0.38)に交換したのだが、非常に軽くチョーキングしやすい。ブルースの練習をする場合ヴィブラートやチョーキングの繊細さの練習になっても良いかもしれない。こんなんでジミヘンは轟音を出していたのか。普段ジャカスカするならHybrid Slinky(0.09-0.46)の方が楽しい。レモンオイルが手元にないので代わりにミネラルオイルを塗ってみたのだが良さそうだ。オイルを塗らずに水拭きしろだの、レモンオイルのリモネンが金属パーツを酸化させるだの、フィンガーイーズのシリコンが溜まって木が詰まるだの、リンシードオイルがどうの、ホホバオイルはオイルではなくワックスだの、様々な情報が溢れて錯綜している。とにかく程々が一番のようだ。

ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years』を観る。タイトル通りだが「Please Please Me」から「Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band」に至るまでのライブ、ツアー演奏のビートルズに話を絞った映画。63年JFK暗殺、ワシントン大行進、ベトナム戦争などアメリカは激動の時代であった。「Please Please Me」も63年、やたらとワチャワチャした時代、そしてビートルズがデビュー後にライブ活動をしていたのはたったの4年だと思うと、どれだけのスピードで物事が動いていたのか、60年代の英国に自分がいたらどうなってしまったのかと感じる。

始終ジョージ・ハリスンの持つギターがカントリー・ジェントルマンかリッケンバッカー360かテネシアンかばかり見ていた。デュオ・ジェットは登場せず。ジョンはずっと625だったのだな。もっと最初からエピフォン・カジノを持っているものだとばかり思っていた。ビートルズでどの曲を誰が作曲して誰が歌っているのか、その時使っていたのはどの楽器なのか、どの声が誰なのか、そもそもマッシュルームカットの4人の写真を見せられてどれが誰なのか、ビートルズに関する認識がかなり雑である。大学生の頃にビートルズだけのセッションに一度行って、パート割りがギター、ベースなどではなく、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴで楽器と歌、コーラスがセットだったことに衝撃を受けたが未だにアレに参加できる気はしない。そも、あの店はまだるだろうか。

『デジタル・ミニマリズム』を風呂で読み進めておしまい。

 

M-1とM-4を共同作詞したキズナアイ親分の新作が出ました。聴いてね。