生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

SSDが2GBをもたらし、ATCQは切ない

五月七日、晴れ時々曇り。

起きた子と添い寝をしたような気もしたがまともに起きたのが午後だったので午前中の記憶は曖昧模糊としている。

明日届くと思っていた外付けSSDが届く。結局SDカードはどうやっても不調のままだったので有り難い。今まで256GBだった外付けのストレージが2TBまで化けた。やっとSSDが実用的なサイズの時代になって嬉しい。本体が256GBで2014年製の代物である。正直CPUはそこまで大化けしていないがストレージ容量は6年も経つと全く別世界になっている。ありがとう技術の進歩。そろそろMBP本体も買い替え時だとは思っている。

『ビーツ、ライムズ・アンド・ライフ -ア・トライブ・コールド・クエストの旅-』を観る。ATCQはカッコいいと思いつつ『Low End Theory』しか聴いてなかったような気がしてきた。というかLow End Theoryしか聴いてない。

悪そうな奴、金と女、ヒップホップにまつわる負のイメージを払拭して明るく健全でありながらクールなものに変えたネイティブ・タンの偉大さやATCQの歴史を確認するという意味でも良い作品なのだが、何よりQティップ、アリ、ファイフ、ジャロビ、四人の若者が手探りで騒ぎながら成功を収め、大人になる中でそれぞれの問題やすれ違い(特にファイフの糖尿病によるものが大きいが)が起きてバラバラになってゆく……まごうことなき青春が描かれている。『スタンド・バイ・ミー』を観ているかのような、ドキュメンタリーのはずなのにロードムービーのような。

映画公開当時の2011年であれば「再結成したATCQの姿、彼らには契約上あと1枚のアルバムが残されている」で終わるのだが2016年以降にこの映画を観ると最後のアルバムは既に存在しており、何故それが出ているのかまで分かっているため見え方が変わってしまうだろう。切ない。

 

Spotifyのライブラリがずっと一杯なのに業を煮やしてプレイリストでジャンル/カテゴリごとに放り込み始める。何で音楽を区切るかという問題が目の前に現れ、頭を抱える。以前はCDを一枚一枚手にとって説明を読むなり調べるなり、知らないなりにどこで入手したか概要が記憶の中にあったのだが、ネットで調べてホイホイとライブラリに追加したアルバムのジャケットとアーティスト名だけではそれが何の音楽でいつ知ったものなのかさっぱりわからない。古い音楽か新しい音楽か、ロックなのかヒップホップなのかダンスミュージックなのか、日本なのか韓国なのか英国なのかアメリカなのか、はたまたフランスかロシアか台湾かタイかインドネシアかもわからない。無論そういった情報に縛られずに音楽だけを聴けたらそれは一つの理想的な鑑賞法だと思うが、それでは今聴きたい音楽を見つけることが難しくなる。現に難しいからこうなっているのだ。