生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

何が「はりぼて」で何が「はりぼて」じゃないか

九月二十三日、曇り時々雨。

連休から急に秋になって寒くなった。今の所体調は問題なし。

7時前起床。子。朝のEテレを見ていたらサンダーキャットが出てきて少し驚いた。

子を送り、医者へ行き、午前の仮眠。

表参道に用事があるので渋谷で映画を観てから行こうと決意、『はりぼて』の映画チケットを取ったのだが「天気が悪いので」と本来の用事がリスケになってしまう。天気の悪い中映画だけ観るためにヘラヘラ都会に繰り出す阿呆のようではないか。阿呆なのだが。

映画を観終えてレコ屋へ寄り道。渋谷レコファンが閉店セールをしているというので見に行ったのだが基本的にいつもとあまり変わっていない。まとめ買いセールはしているが全てのレコファンが潰れるわけでもないので良い盤はちょっと高い値段がついている。店内に並ぶ中古CDとレコード、テプラで印刷されたアーティストの仕切り、350円の値札がついたケニーG、これは少し前のブックオフで感じたどうにも古い、時代から取り残されるような臭いだ。長居すると気持ちが落ち込むのでタワレコへ移動。タワレコも売れないジャンルの売り場はどんどん圧迫されてきたわけで別段居心地の良い場所ではない。ただ新しいものが並んでいるので淀んだ空気ではないだけだ。結局お目当ての商品は店頭から消えていたので通販を頼ることにした。それはそれで寂しいものを感じる。

帰宅して昨日の作り溜めした料理を夕食に。将棋を一局。おしまい。

 

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『はりぼて』を観る。日本で最も自民党の多い保守王国富山、その富山市議会の議員が政務活動費を着服していたことで14人(市議会議員は全部で40人)連続で辞職する事件とその後を追ったドキュメンタリー。

酒好きで気のいいどこにでもいそうなオジサンたちが登場し、志の高い発言をしたと思うと次の瞬間には不透明な資金の使いみちについて言い淀み、素直にゲロッってしまう。次のカットでは額に脂汗を浮かべて謝罪をしている。富山市長の「コメントできる立場にない」というセリフが天丼のように繰り返されてゆくのだが、編集のテンポや間の抜けたテーマソングの入り方などがとても軽妙で爆笑してしまう。「脚本が三谷幸喜なのではないか」と言われるようなコントが続くのだが、なんと全て現実。政治ドキュメンタリーを観てきたはずなのに狸の信楽焼を見て思い出し笑いをする体験はこの映画だけだろう。

議会がガタガタになればピカピカの新人たちが補欠選挙で当選し、議会運営そのものの緊張感や手腕は落ちてゆく。膿を出すことは必要だが、ほとんど膿しかない状態で回っていた市議会は回らなくなってゆくという側面もまた現実。

フィクションではないのでオチは爽やかなものとは言えないが、観客が爆笑していた「はりぼて」は自分たちの身近なものでありこの国の縮図でもある。市議会というサイズにスケールダウンするためそこに登場する人々に巨悪と呼べるような人間は一人もおらず普通で残念、つい出来心でやってはいけないことに手を染めるどこにでもいる人たちだ。それが滑稽で愚かでどこか憎めない人間くささを感じさせ、愛すべき人間にもまた見える。

巨悪というのは愛すべき人間のように見えなくなってしまう次元の人間達なのだろう。本当にそのような人間がいるのかどうかは定かではない。ハンナ・アーレントが「悪の陳腐さ」と表現したアイヒマンは愛すべき人間だろうか?ではスターリンは?ヒトラーは?笑っているうちに観客が共犯者になってしまう『帰ってきたヒトラー』の居心地の悪さの裏面のようなモヤつきが最後に残る。