生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

ドライトマトの味噌汁

十月十一日、曇り時々雨。

プリキュアが出産する。ボトムズ全作品収録Blu-ray Boxが発表される。

8時半頃に起床。カスタマーサポートをしながらニチアサを浴びる。

後回しにしていたペーパーワークをやらなくてはならない。フォームへ記入とかpdfで済むのなら良いのだがワードのファイルを印刷して手書きして捺印して封筒に宛名を書いて84円切手を貼ってポストへ投函となると途端に手間が増える。さらに手書きして捺印したものを取り込んでpdfにして送ったりしていると何をしているのかどんどんわからなくなってくる。ハンコを押すこと自体は快感だがハンコ文化はなるべく滅びて欲しい。

ゴミが溜まっていたのでゴミ捨てをする。生ゴミという奴が厄介である。蓋をしておけば臭わないと思うとハエが湧いたりするのでやはりこまめに捨てなくてはならない。ウーム。蓋をしなければ当然臭くなる。いっそ微生物やミミズによって分解してほしいのだが。

昨日までがドタバタしていた、天気がキツかったので今日はゆらりと過ごす。

ドライトマト入りの味噌汁を作って簡素な夕食。ここ一ヶ月ぐらい肉塊より豆や卵で質素な食事にまとめる方がしっくり来る。季節か、歳か。そういう気分である。

 

トヌー・ナイソー、澤野工房のCDで聴いたな~と思いながら調べ直したらエストニアのピアニストであることを知る。エストニアということはソ連崩壊の91年まで鉄のカーテンの向こう側の人間だったというわけである。

旧共産圏音楽はソ連国有レーベルメロディアに統制されていた分、奇妙な進化を辿っており狂ったプログレバンドが東欧にウジャウジャとひしめいていたりいるのだが、トヌー・ナイソーのジャズは基本的にストレートでありながら、やはりどこか西側からズレた部分がチラつく。

1970年のアルバム、『Tõnu Naissoo Trio』では力づくの8ビートがねじ込まれてくる「Boy and Girl (Poiss Ja Tüdruk)」がひときわ辺境感を際立たせる。ソフトロックのような、プログレのような……ある意味60年代のアメリカを吸収しているのかもしれないが、このリズムのつんのめるようなドラムが癖になる。

ラストを飾る「Come Ever Up To My Joys」はビル・エヴァンスのようなリリシズムを感じさせる演奏となっている。一度気になり始めたドラムのつんのめり感がまだ引っかかるが……