生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

『自由からの逃走』から逃走し続けて10ヶ月、脳内の渋谷で沢山の軽トラがひっくり返された

一月五日、晴れ。

二階幹事長は五輪を開催なさるそうだ。

深夜カスタマーサポートで3時~4時半ぐらいまで対応をしたのでメチャメチャになる。

朝カスタマーサポート後、気絶。起きると14時。

ペーパーワークを収めたので実務に取り掛かるか~とDAWと立ち上げてドラムから始める。Superior Drummerは良い。良いのだがあとは使う人間の腕。

宅録インディーな音を打ち込みで作るのはだいぶ難しい。もっと宅録インディーなことが一人でできるほど器用な人間だったら良かったのにと自分を呪う。多分深夜対応で自律神経が乱れているから。しんどめ。

夕方カスタマーサポート。みんなこれからの音楽ビジネスや社会の変化の話を真剣にしている。頭がよくてすごいなぁ。

 

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』読了。

買ったのが2020年2月であるからほぼ10ヶ月かけて読んでいたことになる。あるいは10ヶ月遠回りをしていた。1952年に翻訳が出版されて1965年から新版で刷られている。岩波文庫でも時々でくわすが、掠れた活字がこうも読み辛いとは。そしてドイツ人の書く真面目な文章の読み辛いこと。

中世までの人類は地縁というものによって立場が保証されていた。村一番の力持ち、村一番の美人。

では現代SNSの時代の人間はどうか?YouTube一番の力持ち、Instagram一番の美人が一体何人存在を許されるのか?SNSがなくとも近代の都市化が進んで以来人類は共同体から解放され、自由を獲得してきた。自由というのは不安と裏表のコインだ。自由には責任が伴う。己の責を肩代わりしてくれる共同体を失った人間は本当に己の双肩だけでその責任を追う精神力があるのだろうか?全人類に?

2019年、若者は渋谷のハロウィンで軽トラをひっくり返した。地元の祭で神輿を担がず渋谷のハロウィンで己の力を自慢した。もしくはドナルド・トランプを熱狂的に支持したり、安倍政権を痛烈に批判したり、山本太郎に一縷の希望を託したり、自分の拠り所をどこかに必死で求めている。Instagramで自撮りを上げているかもしれないし、facebookで最高の仲間達との飲み会について熱弁しているかもしれないし、Twitterでバズるために無い知恵を絞ってとんちを唱えているかもしれない。

1941年、ドイツで自由になった人間たちはアドルフ・ヒトラーと一体化して心の拠り所を求めた。自身の所属する共同体が不安定になった時、強い何かと同じになろうとする。そういった部分は2021年になっても全く変わったところは見受けられないどころか、より強まっているようにすら感じられる。

この本に書いてるのはルターやカルヴァン宗教改革マックス・ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とアメリカ、フロイト左派の心理学、そのような近代の時代背景の分析からナチス・ドイツが勃興するまでの近代人の話である。だがこの本を読んでいる間、私の頭の中では若者たちが軽トラをひっくり返し続けていた。