生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

閃光のハサウェイと串カツ屋がコラボしてΞ(クスィー)セットを出しておりあまりのダジャレっぷりに乾いた笑いが出た

六月三十日、曇り時々雨。

 

7時40分起床。7時間半も久々に寝た。朝カスタマーサポート。

昨日すべてをかなぐり捨てて寝た甲斐があって少し体調がマシになる。

5Gの電波が受信できるようになるという例のワクチンを打ちに行く。筋肉注射なので少し筋肉痛のようなズキズキした痛みはあるが他はこれといって無し。

昼食を外にしようか迷ったのだが何かを食べたい気分に全くならなかったので帰宅。

帰る途中で俺は他人が作ってくれた冷やし中華かそうめんを食べてダラダラしたいのだ、それが食べたいものなのだということに気がつく。家には一人しかいないので自分で揖保乃糸を茹で、ミョウガを刻んで食べる。食べたかった理想のものに限りなく近い。求めていたものはコレだった。

金曜から火曜にかけての疲労がバカにできず、鍋も洗わずに気絶。冷えた麺を手繰って昼間からゴロリと寝る。どんな美味い料理よりも求めていたものである。

途中佐川からの荷物を受け取るためにインターフォンの音で器用に目を覚ましたりしつつ3時間ほど気絶。受け取った半導体の山は明日以降のお楽しみとする。

夕方カスタマーサポート。そこそこしんどいが昨日までよりは楽になった。

自分たちの夕食を作る気力は無かったので牛皿テイクアウトを神への宥めの香りとする。

VIVY10話まで観たが引き続きノットフォーミー。リゼロにしてもそうだが、世の中の求めるものと自分の求めるものがズレてきたのかなと感じるところがある。無論10代20代の若者といつまでも同じもので喜んでいたらそれはそれで問題なのだが、言いたいのはそういうことではない。直截的なセリフ回し、視聴者が入りやすい卑近な設定でSFとしてガバガバのままストーリーテリングの勢いを優先するバランス感、ドラマとしての勢いのみでそれら設定の穴を超克しようとする姿勢。AI、ロボット、サイボーグ、ソフトウェアとハードウェア等の説明を全ておざなりにしたまま機械VS人間、人の心とは何かという非常に大きく雑な主題を掲げ、それを「歌」という演出で殴ることで細部を語らず視聴者を感動させようとするその態度が非常に気に食わない。菊地成孔がダミアン・チャゼルの映画をパンチドランカーで観客をクラクラさせた間に誤魔化して感動させようとしていると言っていたのと同じ話なのではないか?うーん、嫌いだな。