生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

PSGもナンバガも無視して半田付けをしていた

八月二十一日、曇り。

今日もフジロックが行われている。

6時半起床、朝カスタマーサポート。

パンケーキを焼いて主への宥めの香りとする。眠いので気絶。11時前から14時まで。

昼食に用意してもらった弁当も食わずに昨日の続き、NEUTRIKとMogami 2524でシールドを作る。が、アッセンブルガイドがあって何を何mmにするか書いてあるかなんで知らなかった。知ったので言われた通りの長さで芯線、シールド線、被膜などを揃えて半田付けしてゆくのだがなぜか音が小さい。一旦諦めてカスタマーサポート再開。

夕方カスタマーサポート。

メシを作る気力を失う。メシなしで解散。ウィダーインゼリーを主への宥めの香りとする。

半田付け再開。何度やっても音の小さいシールドが出来る。音が出ないでもノイズが乗るでもなく音が小さい。原因の特定が不能と諦めつつ最後に藁にもすがる思いで「ノイトリック 音 小さい」で検索。同じ症状のブログに到達。ノイトリックは悪くない、Mogami 2524の芯線を覆っている黒いゴムのような被膜が導電体であり、先端はこれを剥がさないと信号が分散してしまうらしい。そんなこと誰も教えてくれなかった!と言いながら2524の先端の導電体を剥がしてゆくとまともな音の出るシールドが完成する。これで80cmや100cmの微妙に必要なエフェクター間の取り回し用のシールドが完成した。床ペダルボードがついに組めたのである。この先更にディレイが挟み込まれるかもしれないが、ひとまず全てのペダルが自分の方向を向いており、センドリターンもできて無駄な長さのシールドによる信号のロスも無く、断線もなく自分の理想の配列の足元が完成した。何か試したい時にいちいち電源を切ったりシールドを抜いたりするのがあまりにも億劫だったがこれで色々試したり、色々試すがセンドリターン無しでBOSS PSM-5一発のバイパスクリーントーンも出せる和嶋慎治式の完成。嬉しい。嬉しいのだが早く寝るつもりが夜更ししてしまった。ギターは弾いたが風呂に入っていない。風呂に入って寝る。

 

強く主張しても友人が減るだけなのでTwitterでわざわざ喧伝もしないのだが、私は現在オリンピック(終わったが)もパラリンピックも開催に反対であるし、東京の病床がパンクして顔見知りの知人が自宅療養で生死を彷徨っているような状況でフジロックを不徹底で曖昧な条件のまま開催することも反対である。YouTubeで配信を観ることができるらしいが、正直なところそれすらも抗原検査という言い逃れのような手段で客を入れているフジロックを肯定するようで全く乗り気になれない。フジロックを観る気が起きない。フジロックを観ることで医療現場を圧迫する人々や医療に携わる人達への負担、その結果もたらされるであろう避けられたはずの感染者とこの先重症化して出るであろう何十人か何百人の死人を肯定することが地続きに感じられたからだ。

フジロックの現地へ行っている人間を見ると自分の中の戸愚呂弟が「おまえもしかしてまだ自分が死なないとでも思ってるんじゃないのかね?」と囁くのである。己の死のリスクを覚悟して足を運んでいるのならばある程度筋が通っているが、おそらくそうでない客が大半であろう。

そういった一連の物、オリンピックに反対の声を上げたがフジロックに反対の声を上げないダブスタの人間(そんな人間がいるのか私は自分で確認していないのでこれは想像上の存在に過ぎないかもしれない)、なし崩し的に楽しむ人々、私はそちら側になれなかった。

だがこういった一つの物事の先に想像を巡らせると悲惨な犠牲者がいるという話は日常の中にいくらでも潜んでいるわけであり、スーパーで売られているアボカドを見てもメキシコやチリで水資源の枯渇による間伐や土壌汚染、カルテルや難民の事まで考えるかどうかは人それぞれだ。パスタを食べる度に使っているトマト缶の中身が中国企業の持つガーナの工場で真っ黒なトマトを薄めて着色されてイタリア産と産地偽装されたものかもしれない。ユニクロのTシャツは中国が新疆ウイグル自治区の人々を迫害しながら生産したコットンかもしれないし、それらは一人のドイツ人学者のレポート一つを元に作られたアメリカ綿を売るための貿易戦争のネガティブキャンペーンで虚構かもしれない。

なにか一つを選択するにしてもその先に何が繋がっているのかを考える、これはグローバル化した社会においてある程度伴う責任なのかもしれないが、いちいち全て考えていては何もできやしない。ただ私は今回のフジロックに反対である。他人にどうこう言うつもりは無い。それだけの話だ。