生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

ウクライナのことで気を揉むより己の目の前のことから手を付けることが大切

二月二十二日、晴れ。

ロシアついにウクライナへ。

8時起床、朝カスタマーサポート。

NEEDY GIRL OVERDOSEのトゥルーエンドを見るために夜ふかししてしまった。最悪の寝覚め。

何もかもダメになり12時半まで気絶。

弁当を主への宥めの香りとする。

全く動ける気がしない。ベッドで読書。

15時半から17時まで気絶。

夕方カスタマーサポート。

米がないのでパスタを主への宥めの香りとする。

これからギター弾く。

 

 

読了。なんてことのない非常に軽い内容とも言えてしまうのだが、エピクテトスの原著(書き留めてまとめたのは弟子のアリアノスだが)の鹿野治助の翻訳や58年から刷られている霞んだ活字の可読性が低い。読むのがしんどい。

そこでイントロダクションとしてこの本を読むことで気合が入る。ストア派の考えの基本である権内/権外の説明などが適当に読むだけで入ってくる。

一番有り難いと思ったのは現在とは意味の異なる論理学、自然学、倫理学についての解説。1世紀~2世紀頃の古代ギリシャにおいてそれらがどのような意味を孕んでいたかについて現代の言語と照らし合わせて説明し、神(スピノザ的な)や「ロゴス」や「プネウマ」などについてやわらかく理解できる部分がこの本の真骨頂かもしれない。

原著については2020年末に國方栄二による新訳が出ているのでもう無理して鹿野治助訳の擦り切れた活字を読まなくても良い。この本が2020年前半なのですれ違いである。