生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

神を信じないのは神を信じるより遥かに難しい

七月二十七日、雨のち曇り。

加藤智大死刑執行。廃屋カーネル死去。五輪絡みの収賄

8時起床、朝カスタマーサポート。雨。

日高昆布以外で昆布締めを作るんじゃという意志で利尻昆布を買う。昆布の品種の違いを初めて意識した。

図書館で本を借りる。

知り合いが先週末でポコジャカとコロナ陽性になっている。眠いのだが寝付けない。

TR-808を作った神々 菊本忠男との対話』を読み始める。ディスクリートの解説が間違っていたあたりから著者であり聞き手への信頼が置けなくなる。菊本氏の話自体はとても興味深いだけに複雑。

正午あたりから14時頃まで気絶。

中途半端に眠く中途半端にだるい。棒ラーメンを主への宥めの香りとする。

シンセでブレードランナーごっこをした音を流しながら部屋でちまちまする。

ダウナーに過ごしているとあっという間に時間が過ぎてしまう。

夕方カスタマーサポート。

鯛の昆布締め、きゅうりの酢の物、ナスの揚げ浸しを主への宥めの香りとする。

風呂に入る。これからギターを弾いてストレッチして寝る。

 

 

中世日本と現代ソマリランドの価値観や社会の共通点といった対談を起点としてどこまでも転がってゆく現代辺境と中世日本の対比と会話。ミャンマーやタイなどの話、新米と古米、徳川綱吉への評価、各国語における「マエ」と「アト」と時間間隔、江戸時代の金銀銭の両替のややこしさ、上座部仏教大乗仏教国の文化の違い。

中世日本で宋銭が使われていたのは現代でUSドルが使われている途上国があるのと同じであるという話がスッと馴染む。織豊(安土桃山)期から米本位制になってゆくことで日本全土で通貨となる米を作ろうとするようになり、東北で米が育たず飢饉が増えてしまった話などが興味深い。プランテーションモノカルチャー経済は近世以降世界各地で見られる話である。同時に雑穀を育てていれば飢饉は起こらないが、江戸で消費される醤油や味噌のために大豆ばかりを育てており、それを資本家達が取り立てて金にしてしまうため食べる分が残らない。資本主義のえげつなさは現代に限った話ではなく近世日本にもあったのだという視点がこの本で一番の驚きであった。江戸時代にプランテーションや資本主義という単語が挟み込まれるだけで見ていたものが変わる。