生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

謎の円盤CD-DA

風邪なので大手を振って家で寝転がり活字を読むかアニメを見るかしていたものの、最近為すべき事を為した感覚が薄いので休まった感覚もまた薄い。全てにおいて希薄で手応えのない感じである。
これが悪循環を産むからまた恐ろしい。より無気力になり何も為し得なくなる。
しかしながらまず為すべき事が今は養生である故になるべく大人しくし、決してiPhone
小さな液晶にへばりついて目を酷使して了見を狭めないよう気をつけるぐらいしかない。
お前の好きな音楽でも聴いていればいいじゃないかと思ったのだが、CDで音楽を聴く習慣が抜け落ちてしまった。唯一自室だけはCDプレイヤーが健在だが、自室のオーディオなんぞ寝る時以外出番もなく、寝る時は音楽なんぞ聴かない方が安眠できると気付いてしまった。
それにこの光メディアというのはひどく脆弱で時代遅れで管理するのも億劫だ。80年代や90年代前半のプレスCDがみるみる読み込めなくなっている。とっとと全てflac化してしまいたい。中身だって16bit/44.1kHzの圧縮音源に過ぎないわけだし、アナログほど耐久性があるわけでもない、何故こんな中途半端な企画がなんだかんだでまだのさばっているのか不思議でならない。
という感情はこの10年ひたすらこの銀色の円盤を掻き集めることばかり考えて生きてきた反動なのだろう。宝の山なのか産業廃棄物なのかわかりゃしない。あと20年もすれば本当にゴミになってしまう上に何千枚も一々データ化するのも手間だ。かといってDRMのついた256kbpsの音源を買うのは癪だし、320kbpsが1曲250円でも近所でシングルが借りてこられるシロモノなら盤を借りた方が安い。beatportやjunoの類は折り合いがついたもののiTSやAmazon mp3はまだシステム的に納得がいかない、しかしCDはCDで煩わしい。お陰でここのところ盤を買わなくなってしまった。シングル100円餌箱すら気が引ける。アルバム100円は食らいつくあたりが今のテンションなんだろう。
どれだけCDに愛憎入り混じっているのだという具合になってしまった。今は活字が性に合う。結局聴きながら本を読むとどちらかが疎かになってしまう。それだけの話だ。
はやくおっきくなりたいな。