生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

夢幻の如くなり

八月二十日、晴れ。

本当にフジロックが行われており、戦慄する。

6時起床。4時間寝てない朝カスタマーサポート。

夏の朝日を浴びるとバタリとできないので『雑兵たちの戦場』を読み進めている。中世の社会というのは現代の人間が文明や抑制から解き放たれた時どうなるか、そのニュートラルもしくは本性を表した限界の状態が事細かに語られているため非常に面白い。現代の辺境と中世が通ずるという話は『世界の辺境とハードボイルド室町時代』の話だが、ドンピシャでそのハードボイルド室町時代側のハードボイルドぶりを叩きつけられ自分の規制観念が粉々にされてゆく快感がある。この下々の民の限界の状況の過酷さと逞しさにふれる度「暗黒!マリーのアトリエ」はこの逞しさの部分を描いたフィクションだったなと思い返す。慶長文禄の役倭寇顔負けの勢いで豊臣軍の言うことを聞かずに朝鮮半島の海や川を爆走して人をさらい、奴隷商人と武器商人と海賊と忍者を兼ねている島津御用聞きの商人嫌すぎる。鬼島津の鬼は別に苛烈さや勇猛さだけではなく非人道的な残酷さにこそ「鬼」の文字があるのだとこういった本は史実を突きつけて教えてくれる。

気絶していたら15時前。素ラーメン食べて主への宥めの香りとする。

 

本日はオノマトペ大臣『街の踊り』リリースから丁度10年なのだが、関わった人間としてこのことについてTwitterで告知しようとした際に10年という時の流れの長さを日本語で表現しようと思った時に使いたい日本語が出てこず、内藤氏とクラブハウスで5分か10分あーだこーだ日本語思い出しラリーをしていた。時の流れ?季節の移ろい?時代?時の過ぎゆくままにこの身をまかせ?なんか卒業式のスピーチとかで使う言い回しだったような……

正解としては「隔世の感を禁じえない」だったのだが、「隔世」という単語と「禁じ得ない」という言い回しの組み合わせが出てこなかった自分の脳みそにとにかくショックを受ける。人間は自分の思ったり感じたり考えたことを言語で表現することができなくなると怒ったり暴れたりしてしまうが、己がそこへ一歩目を踏み入れたということにダメージを受けてしまった。

1984』の新語法(Newspeak)は辞書からどんどん単語を減らしていって人民の考えを狭く浅くしてゆく恐怖を描いていたが、正直なところ初めて読んだ時その恐ろしさというものがピンと来なかった。顔の目の前にドブネズミが固定されて顔を齧られることの方がよほど恐怖を覚えた。今、新語法への恐ろしさのレベルが一段増した。バカやっていた時から10年経っていたことへの感情は「時の流れを感じる」だとか「すげー時間があった」とか「フィールダブルプラスロングタイム」ではないのだ。「隔世の感を禁じえない」でなければならない。十年一昔。人間五十年。下天の内をClub Lover。

本当はあの曲を3コードで作った話などを小粋に解説したかったがもう眠くて活動限界です。フジロックが行われている恐怖などについても言語化したかったのだが今日は諦めます。

 

半田付けチャレンジをして失敗。夕方カスタマーサポート。

冷凍水餃子を放り込んで主への宥めの香りとする。

ギター弾いておしまい。