十二月十一日、曇り。
防衛特別所得税新設など。
4時、7時半起床。朝カスタマーサポート。
一時間ほど気絶する。
渋谷、髪を切る。
吉野家Aセット豚汁を主への宥めの香りとする。
恐らくベトナムからの留学生がキリキリと働かされる吉野家で食う牛丼の味はなんとも言えない。隣のパチンコ屋がビルごと解体し、吉野家のテナントもボロボロの老朽化したものであることが普段見えなかった側面から見える。メガネの巨漢の店長とおぼしき人は今日も全体の指揮をとっている。キッチンで冷凍のうなぎが袋から現れ、カルビ定食かなにかがフライパンで加熱される。ホットショーケースの中には唐揚げが山となっている。己の椅子の近くには恐らく30kgの米袋が山となっていて隣の客の外套が載せられ、カウンターの内側で一階席と二回席を案内しているアルバイトの青年は新たに入店した外国人客に「フォーピーポー、メアイゴーアップステアー?」のような英語で話しかけられ混乱している。俺の食っている牛丼の肉はアメリカで肥育ホルモンを与えられて育てられた牛かなにかに違いない。倫理とは、資本主義とは、選択行動とは。最近「ごめんね消費」という言葉が生まれたらしい。もう何もわからない。
パルコで布を見る。髪を短くシースルーバングのようにしてウェリントンフレームの眼鏡をした中国人男性のグループを何人も見る。もしくは角刈りで恰幅の良く色の薄いルーズなデニムを穿いている場合もある。顔だけでは日本も中国も見分けがつかないのだからちょっとした身なりの傾向、コードのようなものなのだろう。不思議だ。彼らは躊躇せず高い服をバンバン買っている。
一方渋谷の女子高生は皆ノースフェイスのようなダウンかフェイクレザージャケットを着ている。フーディーの流行は終わったと聞かされ、確かにパーカーを見なかったなと気がつく。
原宿へ移動、古着屋を見ているうちに人混みに酔ってまともな判断ができなくなる。原宿は逆に欧米から来た観光客が目立つ。アジア系ではない人々があちらこちらに。いつ言っても修学旅行っぽい中学生がいるのは何故なんだ?
一瞬原宿のシンセ屋をひやかす。見るのは楽しいが買い足すものは当分ないな……
人に疲れて帰宅。
夕方カスタマーサポート。
22時過ぎ解放。
何故今までマリア・シュナイダーを食わず嫌いしていたのだろう……デヴィッド・ボウイの『★』とダニー・マッキャスリンの諸作からやっとマリア・シュナイダーにたどり着いた。今一番心に沁みる音楽だ。美しいとか叙情的とか映像が浮かび上がるとかそういう言葉で褒めるタイプの音楽なのだろうがそんな言い回しでは褒め切れない繊細なオーケストレーションと闊達なソロが入り交じる。サブスクにはオムニバスしか置かれていないし、CDはレーベルがArtistShareなので売り切れていたり相場が高くて現代としてはかなり聴くまでのハードルが高い。うーんできれば全アルバム集めたい。