生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

FGOやめな

一月四日、晴れ。

昨晩寝付きが悪かった。正午に起きてひなたぼっこをする。

ややボンヤリと飯を食い、コントラバスに触ることを諦めて編曲を始める。

進んだような進まないような、煮え切らないような。しかし全く手を付けられていないというわけでもないような一日。

冬になって活動可能時間が短くなっている。明日は是非筋トレをして肉体を覚醒させたい。

なんとかなるなる成瀬川

一月三日、晴れ。

誓いのもと8時半の目覚ましで起きる。もっとも布団から出るのには相当の時間と労力がかかったが。

寝ぼけた状態でひなたぼっこをする。

飯を食って、体内時計だけ整えて昼寝をカマす。非効率だが次善の策なのだ。

昼過ぎ、コントラバスの練習で指の皮がまた水ぶくれになる。練習しておかないとまずいぞ。

DAWと向き合う、ひとまずラフを完成させる。

首の皮一枚の綱渡りという感じがする。スケジュールもだが、どちらかといえば精神的に。

筋トレで解決したいのだが生憎体育館が4日まで正月休みなので部屋で体幹トレーニングをする他無い。

なんとかなると言い聞かせながらなんとかするしかない。

やはりガチャは悪い文明、破壊する

一月二日、晴れ。

昨日は元日だったから許そう。今日の体たらくは何だ。

録画していたFate特番でFGOのアニメを見た結果ついつられて始めてどうする。

ストーリーが描かれるわけでもなくポチポチボタンを押すばかりではないか。

その間に何か小説なり漫画なり読んだほうが楽しい体験ができるだろう。

その間に作曲をした方が自分の身になるだろう。

今日の君にはほとほと呆れたよ。

戦争の中に咲く小さな花を愛でる話から急変する、『大砲とスタンプ』6巻

前線だけが戦争じゃない。書類とハンコで戦うドタバタ兵站軍のお話……として今まで読んできた。

のんびりとしたタッチとポンコツ兵器の中で、今までも良い人間悪い人間が死ぬシーンが淡々と、時には突き放したように描かれていたはずなのだがここにきて兵士ではなく市民たちの死がハッキリと重々しく描かれる。

戦争は悪である、という紋切り型の話ではない。戦争の中にはどうしようもないもの、ささやかで輝かしいもの、ままならない中で懸命に生きる人々の美しさ、それでいて多くの不幸を生み出してしまう遣る瀬無さ、善悪や正負が混沌となりその中には人間一人一人の顔が見えてくるものである。不意打ちのように現れる重々しい死が今までのノリで読んでいた後頭部を殴り、涙腺を緩ませる。作品としても、作者としてもこれは大きなターニングポイントなのではないだろうか。

これを作品に絡めるのは余計な話かもしれないが、シリアでは現実にこのようなことが起きているのだとふと思い返すと非常にいたたまれない気持ちになる。

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一年ののんびりは元旦にあり

一月一日、晴れ。

昨日ブッ倒れて気絶したため11時に起きるが寝る支度をしなかったためイマイチな寝覚め、もう一歩で風邪をひきそうな喉の荒れ方。

昨日の強行軍、特に重い荷物でウロウロしていた分のダメージが肩から全身へ響いた。気絶する寸前にアミノバイタルを齧ったのだが気休めでしかなかったようだ。

家族は帰省している、何はなくとも飯を食わねば。折角なのだ蕎麦にしょうと思い立ち何を乗せるか思案してまずは餅、それからタンパク質が足りないのでおあげを作ろうという結論に至る。

大量の湯を沸かしキッチンをモクモクさせながら茶を淹れ蕎麦を茹でめんつゆを作り油揚げを煮詰める。扇風機でリビングと空気を交換してついでに室温と湿度も上がってエコ。焼いたり揚げたりしないので換気扇を回さずともいいのだ。

おあげは砂糖を惜しみなく入れたのが正解、みりんを足さなかったのが失敗。料理における砂糖の加減が掴めてきたのは楽しい。めんつゆに白だしを入れてみたら妙に苦しょっぱくなってしまった。白だしや薄口醤油への馴染みのなさに自分は東京の人間なのだということを感じる。

食べて一仕事、というつもりだったのだた前述のような疲れで布団に吸い込まれ、芸事始めは一月二日からが良いという本当かわからない風聞に流され昨日のコミケの戦利品及び『大砲とスタンプ』6巻を読み始める。何か少しでも優雅に過ごそうと枕元にあるCDの山からアンドレ・クリュイタンス指揮のベートーヴェン6番と8番、ボロディンムソルグスキーなどのロシア楽曲集を聴く。非常に雅やかでよろしい。

夕方からうとうとと眠ってしまう。起きてみれば20時。見事なうつけである。

同人誌の続きを読んだりダラダラと、元日ぐらいは許されるだろうという開き直りの元自堕落に終える。二食目も蕎麦。おあげの残りを乗せてかけバターそば。タンパク質はプロテインで補助。

アンドレス・セゴビアのギターをかけながら過ごす夜というのは良いものです。

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盆と暮と大晦日とコミケがいっぺんにやってきたような忙しさ

十二月三十一日、晴れ。

コミケ3日目、サークル参加である。天下のコミックマーケットは入場時間に厳しい。人の波や牛歩に飲まれていようとなんだろうと9時に入れなければ強制的にシャットダウンである。

そんなわけで目標集合時刻は8時に設定され、逆算していくと目覚まし時計は6時になる。起きられるわけがなかろう。起きたが。

極めて粗雑な、それでいて滋養のある卵かけご飯に納豆をプラスして流し込み、荷物の確認をしてドタバタしていたら到着が8時半に成り果てる。

なんとかメンバー全員(サークルチケットを持った主)が9時前に揃い入場、もはやこれで第一関門クリアという感すらある。

西1ホールに配置される。コミティアはほとんどの場合東ホールだけであるし、たまに来るコミケでも西への用事は少ないのでさほど馴染みがない。

やんややんやで無事設営完了、スペースにはどうせ3人収まらないので最初の買い物に行こうと立ち上がるが出入り口にはバッファローのように鼻息を荒げクラウチングスタートを決めようとする最前線一般参加者の山。移動は9時半までにしておくべきだった。

開場と同時に東へ向かう。さっきの西ホールの人々はとても温和な人種だったのだと気付かざるを得ないような東ホールの人の波に飲まれる。それは理知的な人間と非常災害で生命の危機が迫った人間のちょうど間のような迫力と剣幕で動き回る半非常災害人間、地形のままに荒ぶる木曽三川ウェーバーの工業立地論、それは関係がない。左側通行なんてなかった。

幸いコミティアより要チェックなサークルが少なかったのだが、ティア的な創作島が東7ホールという今までなかった会場で行われており、ここへの民族大移動がとにかく大変であった。東ホールの内側を通ると大渋滞らしいので外に出ろという指示に従う。外は大手サークルの行列たちとその隙間の移動する人々。彼らは他の人間の隙間を躊躇すること無くすり抜け、肩をぶつけてゆく。今日見た景色を、私は一生忘れないでしょう。

そそくさと少ない買い物や小規模な挨拶を済ませ、寄り道が不可能なことを悟って一時間ほどで帰還。以後楽しい接客と雑談、午後の睡魔との戦いなどのささやかな時間が流れる。

16時コミケ終了、赤身&矢澤おけのサークルにスケブを託したまま閉会してしまったことに気付いてもう一度東ホール大遠征を行う。逆流に逆らい私は会場へ入る。

片付けを済ませ、麻痺寸前の交通機関にどうにか乗り込み秋葉原へ。例のデニーズへ入り精算。1000円札を数えていると何か反社会的組織の幹部になったかのような気分に浸れて良い。ちなみに運営はトントンです。

秋葉原へ来た主目的、大砲とスタンプ6巻をCOMIC ZINにて購入。一つ買いそびれた同人誌をとらのあなで購入。

早めに帰って仕事を……とは思っていたのだがここまで来てしまったら年越しそばを神田で食わずしてどうするという流れになり、神田まつやの二度折り返す地獄の行列を見て松竹庵ます川へ。去年と同じパターンなのだが、ここは天ぷら屋のような蕎麦屋。天ぷらの質が高いのだが、蕎麦のだしも鰹節のキリッとした風味が非常に優れている。ひょっとしたら神田まつやに勝るのではないかと思う時すらある激戦区の隠れ名店。別に隠れているわけではないが近所にかんだやぶそばと神田まつやという二大看板の激戦区の中でよくぞここまでという味。

笛の喫煙所探しに付き合って改めて路上喫煙を許さない千代田区の厳しさを肌で感じた後帰宅。大國魂神社はこの後自爆でもするのかというほど煌々と輝いていた。

帰宅して一息、茶を一服していたところで新年を迎える。その後風呂や歯磨きをする体力がないまま布団にて没。

サイバーパンクSFとしての濹東綺譚、あるいは幻想としての古き良き日本

現代人が想像する古き良き日本とは、高度経済成長期かあるいは漠然とした戦前のイメージであろう。

戦前とは言うが、こと東京においては大正十二年(1923年)に関東大震災が起きており、それ以前の明治大正と昭和初期では全くと言っていいほど違う。

永井荷風の心の中にある古き良き日本とは江戸の残り香を漂わせた明治後期である。

太宰や安吾といったような世代の文豪が描くカフェーの女給などというものは忌まわしきものとして描かれており、「ラディオのひびき」から逃げるために私娼街へ赴く。現代の我々にとってノスタルジーの象徴であるラジオは荷風先生にとって最新電子機器によるノイズでしかない。そして文藝春秋に「処女誘拐」と書きたてられ、新聞に筆誅された荷風先生の恐れ方を見るとこのマスメディアという奴は最近巷で聞いた文春砲という奴と非常に似ている。

銀座は震災後に地方出身者で溢れかえって様変わりしたようだ。

飲食店の硝子窓に飲食物の模型を並べ、之に価格をつけて置くようになったのも、蓋し已むことを得ざる結果で、これまた其範を大阪に則ったものだという事である。

 ということで合羽橋で売っているあの食品模型もウェッサイカルチャーだというのだ。

円タクが盛んに呼び込みをし、終電が日付が変わるまで走ることによって深夜まで飲み会をする人々を嘆き「この有様を見たら、一部の道徳家は大に慨嘆するでしょうな。」と荷風の担当校正であった帚葉翁は言う。

永井荷風私小説としての節よりも、浮かび上がるノスタルジーの風景の差異、そしてそれにもかかわらず現代に対する嘆きは今とさして変わっていない点などが非常に面白く感じられる。ひょっとしたらこれは未来の我々の姿なのかもしれない。

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