生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

センゴクが揃わない

昔の小説が長いのは別に崇高な古典だからではなく他に娯楽が少なくできるだけ長く活字で暇を潰すためだと気付いていつつも吉川英治を読み続けるわけなのですが。新平家物語が16巻まであるぞ。新書太閤記は11巻あるし宮本武蔵は8巻あるし私本太平記も8巻ある。意味がわからん。筆力はすごいが、そんなに書いてどうするのだろう。
山岡荘八にしてもそうだし、池波良太郎にしてもそうだ。よくまぁそんなに長編を書くなと。まぁ世の中には大菩薩峠グインサーガも存在しているが。
やっぱりドチャクソ長いのは娯楽なのだなーと。娯楽と芸術性は相反するものではないからそれが否定になるとは言わないが、どうしたって薄く伸ばしたものが増えるのは否めない気がする。

自分の積ん読の山を見てどうしたものかという気持ちと古典や歴史に自己のアイデンティティを委ねようとする老人臭い発想に対しての疑問の投げかけであり、過去の文豪に対するものではない。
かつては純文学しか読まないなどと意気込んでいた小癪な学生だったが歴史小説を読むうちになんでもええじゃないかと緩くシフトしている。そして一生の間にアクセスできるデータには限りがある。困った。古典は存在するのに新しいものは増え続けるし、それでいて人間そのものは少し寿命が伸びた程度でしかない。

なにはともあれ今日は部屋の本をブックオフに売り払い、売った本より沢山の本を買ってしまうという愚行を犯してしまった。また本棚がパンクする。早めに読み終えて本棚を減らしたい。