生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

若い才能が亡くなる度に俺は生き汚くなってやると何度も誓う

十月十九日、曇りのち雨。

近藤等則が亡くなる。赤い公園津野米咲が亡くなる。ARMYが怒る。

6時に起きる。気絶してたが。

カスタマーサポートする。

今日までに草稿を投げなければいけないものを午前中からひっくり返って書き散らかす。それゆえ、いつもなら朝寝をするのだが今日はできない。

ビートたけしが近所のすっぽん捕まえて生き血を飲んでぶっ倒れた話って何だっけ?

午後、すべてが燃え尽きて気絶する。昼飯を食いそびれる。

夕カスタマーサポート。間を塗って弾き語りを録ったが(10分ぐらいの猶予)もっとマイクの位置、マイクプリ(ソフト)ごとの違い、チャンネルストリップのコンプEQの特性などを試すほどの時間は許されない。毎日がドタバタしてすべてが老後の楽しみになってゆく。

どうあっても生き汚くなっていこう、若くして才能あるミュージシャンが亡くなる度に思うのだがこれはやはり10代のころにセックス・ピストルズ~パブリック・イメージ・リミテッドにハマっていた時期があるからなのではと思う所がある。悪い大人(マルコム・マクラーレン)の操り人形としてパンクロックのアイコンとして死んでいったシド・ヴィシャスよりも、その後這いずり回ってでも生き残って抗うジョン・ライドンが本当のパンクなのだと感じた時期があったはずである。それが18歳か19歳だったかの記憶までは定かではない。ただ17歳の自分がノー・フューチャーだったことだけは覚えている。