生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

回し車はドラッグです

十月三日、曇り時々雨。

裏金議員原則公認。タリーズ顧客情報流出。

8時過ぎ起床。朝カスタマーサポート控えめ。

保険証を取り出してあれやこれやする。

冷凍チャーハンを主への宥めの香りとする。

DAWと向き合う。もう一曲をどういう方向性で生み出すか悩む。

慣れない音作りをアレコレ試行錯誤。成功した感じはしないが経験値が積まれてゆく感触はある。しかしなんもわからん。

いちおう曲として完成させる。手応えや如何に。

大根と牛肉の煮物、麩の煮物を主への宥めの香りとする。

 

先日『ドーパミン中毒』を読み終えた。苦痛を緩和するために快楽と苦痛のシーソーを快楽側へ傾けると、戻った後の苦痛がより増えてしまう。アルコール、オピオイド、セックス、スマートフォン、ありとあらゆる逃避行動によって苦痛から逃避すると苦痛は次第に増してゆく。結局のところ自身の苦痛と向き合って負のスパイラルを防ぐしかない、マインドフルネスの話だ。アメリカで書かれた本なのでフェンタニル大麻の例がドカドカ出てくるのはなかなか恐ろしい。

逆に苦痛、軽度の肉体に対する負荷は快楽と苦痛のシーソーが苦痛側に傾き、その苦痛から開放された反動で快楽を生み出す。エクストリームスポーツの人々が最たる例として取り上げられているが仏教の苦行や最近流行りのサウナもそういうことなのだろう。こちらも行いすぎると感覚が鈍くなりより強い刺激を求めるようになってゆく。他に断食やホルミシス治療も挙げられる。365日飢えずに座っていられる現代人の環境の方が異常なのだと。人が本来そのような暮らしに肉体を最適化されていないのは確かだ。

本筋ではないがマウスにコカインを与えるなどの様々な実験の中の活動性を計測する目安として回し車を使っていたが回し車自体に中毒性があり野生のマウスより過度な運動をしてしまう、乱暴に言えば回し車は「ドラッグ」なのでは?という仮説があり面白かった。回し車はドラッグです。