生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

筋トレと深淵

正直に言うと今日も若干寝過ぎた。明日は7時に起きることを公約としてここに宣言する。己との約束を違えないことが人の信用を得るための第一歩だ。
気の進まない例の書類を書き進める。また足りないものがあることがわかり完成しないがまぁ来週にはなんとかなるだろう。
部屋の掃除をする。少しずつ片付けて綺麗な状態を保たないとあっという間に散らかってしまう。現状はかなりマシなのでこのままうまく保てれば良い。勢いがある時に物を減らしたり配置換えをしたい。

筋トレをするならば今日しかない、今日筋トレをしなければ人間でない、そのような気合と共に夕方から市民体育館のトレーニング室へ。3時間かけてフルで体を動かすとなかなか全身にクる。日頃からストレッチを忘れず、これを週1で保つ。運動をすると思考がポジティブかつ積極的に動けるようになるし、体力もつくのだから。たった週1で良いのだ。今日はそのおかげでだいぶいい感じである。

人のネガティブな面、陰口だとか負の感情というものについてふとひっかかる。
言霊というものは案外あるものだし、深淵を覗けば深淵もまたお前を覗く。人間簡単に闇に飲まれてしまう。
普段は口に出さないようにし(他人に非を押し付ける癖があることがよくわかった)、より建設的な考えにシフトすることを最近は考えているのだが、他人が何か吐き出している時、それに対してどう振る舞えば良いのか。その他者が本当の他人であるか自分の人生にかかわる重要な相手かで選択が変わってくるのだろう。
こう書くととても自己中心的な気もするが、他人事は他人事で無視してしまうに越したことはない。「一緒になって大きな声で嘆かぬこと」だ。近しい人間でも一緒になって大きな声で嘆かぬことは同じだが、その人に対して何か働きかけるだろう。
ここまで書いて整理できたのが要するに「知り合いもしくは友人であるがとても親しいわけではない、かといって我関せずというほど遠い距離の人間でもない」場合についてひっかかっていたのだなと。それは対応を変える話ではなく線引きを変える話だ。どこまで首を突っ込むか、どこから知らぬふりを決め込むか、その境界線をハッキリさせれば良い話だ。ひっかかりは消えた、どちらに分類するかはいささか悩むがそのうち解決するだろう。

そんなわけで寝る。