生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

何を学び修めたのだろう

美大や音大は親のすねかじりのロクでもないボンボンどもの集うところであると、少なくとも美大に関しては東村アキコがそんなことを描いていた気がするのですが。実際9割以上はその通りであり、ご両親が汗水流したかどうかはさておきその金を湯水の如く学費や楽器に、与えられた時間を延々と練習、場合によっては一般大と同じようなチャラチャラした遊びや二限をサボって惰眠を貪る灰色かクズの二択のような暮らしに注ぎ込んでいるわけです。ご多聞に漏れず私も練習するか家でインターネットクズになるかの4年間を過ごしてきたわけです。
しかしながら教育というのは自身への投資であり、その大金に釣り合うかはさておきいくらか回収ができるものという前向きで健全な考えを持っていたのもまた然りなのです。
いわゆるポピュラー音楽理論を学びたくとも独学でマスターできる書籍はなく、インターネット上には誰のためなのかわからないほどにギタースケールばかりが掲載されている。それらを学び見につけることで得られる技能によって投資を回収できるだろうと。思っておったわけです。だがそうもいかなかったわけです。
実際はそうもいかない部分、これは予想できる要因がいくつかあり、どれか一つが絶対的に正しいというわけでもなく漠然と絡んでくるものがあるわけです。
お金という観点で欠かすことができないのが需要と供給。では何に需要があり、何を供給できるのか。
まずそのコード云々などの音楽理論。実際のところポピュラー音楽理論とやらを学びたいと思いつつも途中で挫折したり興味を失う、本当は需要があまりないのかもしれないということ。これは敷居が高いから普及しないのではないか?という疑問もあり、CとGとFがありますというウンザリするほど読んだ超入門記事とまったくフレンドリーでない参考書のような書籍の二分化の現状がいけないという考え方もあるものの、何にせよ本気で学べる選択肢が少ないことには違いない。需要があって導線がないのならそれを作れば良いということになる。あれ、需要あるぞ。おかしいな。
次に作る作品、作編曲など。作品に関しては理論なんぞわかっちょらんでも本能とセンスで作る優秀な人間がおり、更にそういう人間が理論武装(文字通り)して仕事をこなしていたりする激戦区であり供給が圧倒的に強い。ここでお金を得るのはよほどの突き抜けた能力がないとどうも難しいらしい。不可能ではないけれど。これは明快。
そして楽器の演奏技術。これに関しては自分が1上達すると周りのデキる人間が3上達したり10上達する様を死ぬほど目にしており、これもまた需要に応えるには難しいなという実感が正直なところ。
あとはそれら技術を生かすことができるコミュニケーションや事務管理、営業能力があるかないか。あまりないですね、ここは今必死で修正しています。
素質と技術と伝達能力の掛け算でできていて、どうも素質と伝達能力においてさほど優れてはいないのではないか?というのが暫定的な結論。改めて整理すると現実だなぁと思わざるを得ない。ただブルーオーシャンがどうのこうのというような、ブルーオーシャンなどというカッコつけた表現よりスキマ産業の方がしっくりくる、力のベクトルの工夫でやり様はいくらでもあるのだ、というのが希望のある部分。マスに正面から突っ込むことはせず斜めからアプローチをしていこう、そうしましょうというのが今回の一人会議の結論です。