五月二十七日、雨のち晴れ。
FF14の黒魔道士強化しすぎに詫びが出る。
9時前帰省、朝カスタマーサポート引き継ぎ、豪雨。
朝ギター。
普段できないことをやる時間と体力が一瞬生まれたんでディジー・ガレスピーの耳コピをする。
録音の悪さ、フワッとした譜割り、トリルや16分3連などが聞き取れず16小節行く前に挫折。紙の五線譜に書き込むなんぞ何年ぶりだろうか。
もう少し音数が少ないプレイヤーから耳コピすべきかもしれない。主にマイルスとかマイルスを。
ツナトーストを主への宥めの香りとする。
夕方気絶。
夕方カスタマーサポート。
カチュンバルを主への宥めの香りとする。
これから風呂に入ってストレッチして寝る。朝ギターは良い。
BNのウェイン・ショーター全盛期の中で一番馴染みが薄いと思って聴き直してみてその理由を理解する。LP1枚で流れを出すコンセプトアルバム色が強い。ジャムセッションや他演奏者のカバーもない理由がわかった。それとウェイン・ショーターにトランペット奏者の兄アラン・ショーターがいたのも知らなかった。
『Page One』の次作、『In 'n Out』の前のBNのジョー・ヘンダーソンなのにこのアルバムだけ存在感が無い。ピアノは新人アンドリュー・ヒルだしドラムはピート・ラロカなのにどこか勢いが足りない。
次作の『In 'n Out』を聴くとマッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズ、リチャード・デイヴィスの推進力が恐ろしい。
ケニー・ドーハムとモード・ジャズの相性というのもどうなのだろう?という謎がこの辺りを改めて聴くと頭をもたげてくる。
モード・ジャズの流れに適合し切れなかったケニー・ドーハムの最後の輝き、という印象もある。ケニー・ドーハムの楽曲はモーダルともまた少し違うが調性感の薄い複雑なコード感が好きなのだがいわゆるモードの流れには乗れなかったのかもしれない。根がバッパー。しかし日本で「新主流派」と呼ばれるようなモーダルなポストバップ以外にジャズの枝分かれはなかったのか?マイルス的な史観に染まりすぎてはおるまいか?というカウンターを探す手がかりがケニー・ドーハムにはあるような気がする。その後アップル・レコードでサイケ期に突入するMJQなども然り。
60年代ディジー・ガレスピーはラテンからボサノヴァへシフトし、商業的な波を乗りこなしていた気はするが「別の新しさ」を創造していたかはちょっとわからない。