生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

首肩に怯えながら転がってKindleを読んでいた

七月二日、晴れ。

Twitterが大幅なAPI制限。ちょっとした祭りのようになる。

8時半起床、朝カスタマーサポートあまりしてない。

公園カスタマーサポート。

灼熱にやられて帰宅。

そうめんを主への宥めの香りとする。

『ハーレムの熱い日々』を読んでいたら読み終わる。

夕方カスタマーサポート。

ちくわの野菜炒めを主への宥めの香りとする。

肩に優しくあまり動かないでいたはずなのだが今度はそれをかばうように首が痛くなってきた。助けてくれ。

 

著者のニューヨーク・ハーレムを中心とした1962年から1970年までの体験を綴ったルポルタージュ

アフリカ系アメリカ人公民権運動、キング牧師ブラックパンサー党、アンジェラ・デイヴィスの不当逮捕などが巻き起こっていたアメリカのそのほとんど(7年程)をハーレムで過ごした体験を語っている。

そこにはミンガス、モンク、ブレイキー、ショーターのようなジャズ・ジャイアンツも登場する。

しかしやはり重要なのはハーレムで暮らす人々との毎日の関わりの中で育まれる人間同士の信頼関係と暖かさ、そしてリベラル白人であった夫との関係、ハーレム暴動を機に変わってしまう人々の姿だろう。人懐っこく笑うが自尊心の低いアフリカ系の人々がブラックパンサーの活動に影響で真顔で力強い眼差しを見せるようになってゆく変化をその現場でフォトジャーナリストとして見てきた人間が語っている事実は大きい。

夫との離婚、リベラル白人側の苦悩、著者のホワイトでもブラックでもないイエローとしてのアメリカでのアイデンティティの置きどころ、アメリカ合衆国が抱えた根深い差別の構造など、明確な答えはない(出せる人がいるだろうか?)が問いかけや課題として様々なものが投げかけられてくる。そしてこの本の肝はそれを間近で見て体験した生の言葉で悩んでいることが真に迫るのだろう。

1972年初版の本である。今となっては不適切な言葉や古臭い視点もある。それでもその場にいた人間が見聞きして語ったものの核となるものは不朽だろう。