生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

急に夏になり、ポンコツマシンで作曲をする

五月三日、曇り時々晴れ。

暑い。急に暑い。室温が28度になる。多分気温も29度ぐらいになってる。

今日は子を任せて仕事をする。というか仕事を見て見ぬ振りしていたら締切が一週間ほど短くて目を白黒させている。

必死こいて作曲することでひとまず1曲完成。まぁ6曲作るんですが……

2014年製のMBPでもAbleton内蔵の音やエフェクトだけ使えばギリギリ行ける。だいぶギリギリ。6年も使ってるのかこのMBP。逆に6年も使えてしまうのか。もっと進歩しろCPU。守れムーアの法則

毎度のことだが作曲をして一番最初に辛くなるのが目、というのはいまだ納得がいっていない。何度視力を捨てようかと血迷ったか。今でも視覚に支配されずに不自由なく暮らせるなら視覚を捨てたい。不便になるので捨てないが。

子は表情が豊かになり、感情のようなものが見える。元気に暴れる。目や口、頬などがよく動く。本当に毎日変わる。

寝ても寝ても足りない

五月二日、晴れ時々曇り。

急に夏日。暑い。室温が26度ぐらいになってこの前まで寒かったのになんなん地球運営初心者か?

沢山寝れば元気になって仕事も捗るはず……と思ったのだが寝ても子との体力勝負に負けてまた寝る。いくらでも寝られる。

俺は、俺の仕事は。どうなってゆくんだ。寝たことで胃は落ち着いてきた。

 

ビートルズばっかり聴いてたのにいきなりトム・ミッシュの新譜で50年ワープしてしまった。 

マジック・サムになりてぇよ

五月一日、曇り時々晴れ。

今日は何をした?子はどんどん成長してゆく。

ギター・マガジンの歪みエフェクター特集号を読む。真空管アンプを買ってからとても満足したので歪みが欲しい気持ちはほぼ消え去ったのだが。Strymon Flintであの頃のトレモロの音が出したい。アンプと同じぐらい高い。ありえん高い。

散歩に行きそびれたのだが、代わりとしてひなたぼっこを行う。久しぶりに紙の本を読む。こんな風に毎日を過ごしたいねぇ。過ごしたいンゴねぇ。猫の爪を切ってやる。相変わらず足の指に噛み付いてくる。

子の面倒で終わってしまった。子、便秘に悩み始める。俺、仕事に悩み始める。

デカくて低くてペケペケしたリードギター

四月三十日、晴れ時々曇り。

二度寝をしていたら午後になっていた気がする。

子がみるみる成長し、乳を飲む量も排泄する量も増え、力も付き、睡眠時間も覚醒時間も少しずつ長くなってゆき、自我の予兆として理由の不明瞭なぐずりをすることも。

こちらはジワジワと自律神経が削られており、体力精神力ともに最大値が落ちている。

日に日に元気になる子に振り回されながらでろでろになり、飯を食っているか面倒を見ているか気絶しているか。隙間隙間にソシャゲをやっているがTwitterは消したのだといいながらTweetBotやブラウザでチラチラ見てしまう。

スマートフォンでやるインターネットほどかゆいところに手が届かなくてフラストレーションを感じるものもなかなかない。ゲームとメールチェックだけでいい。本当はゲームもいらない。お前は電話だ。iPodのくっついた電話だからそれ以上のものはいらない。それがジョブズの意志だ。

今日はバテており散歩思索を断念。仕事全く進んでないが大丈夫なのか?

そうこうしているうちに四月が終わる。紙の活字を読む場所と時間がないので風呂で読む電子書籍だけが唯一の読書になっている。電子書籍で読んでいるのがセールで買った『デジタル・ミニマリズム』だというのがあまりにも皮肉だ。

 

延々とビートルズを聴いているのだが「イット・ウォント・ビー・ロング」のテレテテテンテーンというリードギターの音のデカさが異常なことに今更気がついた。

一般的にリードギターと言うと高音で歪んだ音をギュイーンとやっているものだが、初期ビートルズなので低くて太いペケペケした音がリードギターというパートをやっている。多分ジョージ・ハリスンの音だろう。

ビートルズが4トラック、8トラック、16トラックのマルチトラックレコーディングを行っている頃であればいくらでもあり得る話なのでそれでおしまいなのだが、『ウィズ・ザ・ビートルズ』は2ndアルバムであり、Wikipediaからの情報(『Tune In: The Beatles: All These Years』からの孫引き)によれば「イット・ウォント・ビー・ロング」は4トラックMTRが導入される前に録音されている。2トラでこの爆音のテケテケしたリードギターが録音されたのか。ジョージ・マーティンの手フェーダーでも行われたのか、2トラックでもテイクの継ぎ接ぎ(オーバーダブ ?)が行われているのでそちらだったのか。ちょっとした謎である。

散歩、デジモン、要介護あるじ様

四月二十九日、晴れ時々曇り。

春の曇りは境目がわからない。雲の多い晴れなのか、時々晴れの曇りなのか。

11時ぐらいに起きたような気がする。

散歩行為を行う。昨日より足腰への負荷は少ない。

子を沐浴させる。視線を感じるようになった。まだ視力が低く瞳孔は動かないが、人のいる方向に目を向けるようになった。

デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を観る。なるほど完璧にサマーウォーズである。これは脚本が吉田玲子だが、アイディアはどっちなのだろうか。

はめふらは昨日観た、プリコネは今日観た。気づかない間に新アニメがどんどん溜まっていたり、新アニメもご時世で止まっていたり。映像研を独占配信しておきながらもう配信終了しているFODを許すな。

請求書の事務作業を行う。ギターを弾いて、作曲したいのだがまとまった時間が確保できていない。時間は作るものとは言いますが。

思索のために散歩を始める

四月二十八日、曇り時々晴れ。

10時か11頃に目を覚ます。昨日はスマートフォンを見すぎた。FGOのシナリオをようやくクリア。動機が「ネタバレを踏みたくない」しかないというのはもはや続ける意味があるのだろうか?しかし終盤クライマックスだけは面白いのが悩ましい。

ソシャゲをずるずる続けながらSNS断ちはしている。深夜にPCから少しだけアクセスしているが、スマートフォンからはアプリを消して通知を切っている。まだ無意識に指がTwitterを開こうとする。

スマートフォンもミュージックプレイヤーもない状態で散歩をすることが思索として最も簡単で良い方法であると本に吹き込まれ、マイブックとシャープペンシルだけを持って近所のお山の神社まで散歩。ここ3週間ひたすら蟄居していたため、このちょっとしたハイキングが足腰に厳しく、今まで回っていなかった血液がこめかみをズキズキさせ始める。ふと思いつき、ありきたりなことを理路整然と紙に書く。物事を順序立てて書き出して整頓するという習慣が見についていないため、このありきたりな行いの大切さを知る。書いていこう。

電話を放り出して外出していたので家族から心配される。帰宅して足腰がグッと疲れる。

子を沐浴させる。慣れてきたのだが、子も子でそろそろ自我の芽生える予兆を感じさせる。体力もついて暴れたりぐずったりしそうだ。寝かしつけた後自分も気絶する。

夕食、事務、風呂。

 

ビートルズは『ラバー・ソール』から『サージェント・ペパーズ』までの中期ばかり聴いていたと思い、1stから5thを改めて聴き直している。ポールが「ハンブルク時代の俺たちはベサメ・ムーチョを演奏する硬派なバンドだったんだ(すっかり軟派なバンドになってしまったと思われたくなかった)」と言っていたが、「P.S. I Love You」だとか「Taste Of Honey」(カバーだが)を聴いているとクリフ・リチャード&ザ・シャドウズから地続きの音楽であり、スキッフルとロックンロールとカントリーがゴチャ混ぜになった(そもそもスキッフル自体がゴチャ混ぜだが)音楽をやっていたのだなという流れが理解できる。ようやく理解できた。高校生の頃の自分にはそこまではわからず、ただただ音質の悪いロックだとしか思えなかったのだ。

神を撃ち落としてないで現実と向き合え

四月二十七日、曇り。

子が生後二週間を迎えてミルクを飲む量や体力に大きな変化を迎える。

深夜4時に元気な子、午後3時に元気な子、寝るまであやしていると1時間ワープしている。

子に振り回されているか、佳境となったFGOのシナリオにかじりついているかの二択で一日が終わる。