生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

吉村弘がわからないということがわかってきた

八月二十六日、曇り時々雨。

EGOIST活動終了。

7時半起床、10時まで床のゴミ。朝カスタマーサポートしてない。

眠くて動けない。鎌倉のお誘いがあったため申し訳無さを抱えながら一人鎌倉方面へ。

N氏とその母上と合流、神奈川県立近代美術館の『吉村 弘 風景の音 音の風景』を観る。

2006年頃に『波の記譜法』を読んでジャニスで吉村弘や芦川聡を聴いた頃、そこまでピンと来なかったのが2020年になって急に再評価で持ち上げられてなんともいえない気分になっていた自身がもう一度吉村弘と向き合うこととあいなった。

70年代までのタージ・マハル旅行団の一員として活動している頃は非常にエネルギーを感じて素晴らしい。ジョン・ケージなどの影響を受けたであろう図形楽譜達、タージ・マハル旅行団の活動当時の資料等。イベントには高木元輝、吉沢元治、阿部薫富樫雅彦坂本龍一近藤等則(近藤俊則)など当時のフリージャズシーンの名前がズラリと並んでおり、現代音楽とサイケデリックロックとフリージャズのシーンはそぞれが近く交わっており、その三つのちょうど真ん中にタージ・マハル旅行団がいたことも示している。

一方80年代からはいわゆる環境音楽としての吉村弘の活動が顕著になるのだが、それはエリック・サティ家具の音楽を土台に立脚しているがWAVEなどセゾングループの資本、バブルの匂いがあまりに強く商業的で俗っぽい部分が否めない。何かの展示や会場に合わせた音楽、複雑すぎずリピートを繰り返す楽曲構造等の意味では家具の音楽そのものである。しかしブライアン・イーノアンビエントに含まれるミューザックの有線音楽への批判を含む立場とは真逆で非常に資本へ迎合的である。一方でマリー・シェーファーサウンドスケープのような自然音やより大きなスケールでの環境音という視点からすればイベント会場の中のみという限られた小さい空間で鳴り、シンセサイザーなどで音楽がかかる場の音響にまで思慮を巡らせているとは考えづらい。

翻ってみれば彼はイーノともシェーファーとも異なり、サティの発想に立脚していると捉えることもできるが、ジョン・ケージの影響を大いに受けた人間が芸術作品として生み出すしてはあまりにも世俗主義が過ぎる。

並行して映像と同期する映像作品も生み出しており、初公開されていたがこちらもイーノの『Mistaken Memories Of Mediaeval Manhattan』のようなゆるやかで変化の少ない音や映像ではなく、非常にわかりやすく明確に蓮の葉などのオブジェクトを映しており、更にそこへトドメのピアノ音源が重なってくることで俗っぽくなってゆく。80年代の吉村弘は総じてメロディックかつ世俗的で「わかりやすく」芸術作品としては面白味に欠ける。

『GREEN』を筆頭とするアルバム群に関しても特殊な音響加工の少ないシンセサイザーの音で数小節のシンプルなフレーズを繰り返す楽曲が目立つ。15年以上前に聴いたときは「面白味の欠けるアンビエントテクノ」程度にしか感じられなかったのだがこれは電子音で作られた『家具の音楽』なのではなかろうか?

肯定的に捉えるならば吉村弘はイーノやシェーファーの影響を受けず、己のサティ観を80年代はセゾングループの金で、90年代はシュウ・ウエムラの金で実現していたとも言えるのかもしれない。建築家のような音響設計をする視点の欠如もそう捉えると納得がゆく。

2本の缶をつなぎ合わせて中に入った水が流れ落ちる音を聴く楽器にしても、「聴く」という行為に対して非常に無邪気というか欺瞞があるというか何か非常に安直で思慮が浅いように感じてしまう。

この展示で自身があまり吉村弘の作品を理解できないことの再確認、タージ・マハル旅行団やその時代が好きであるということの再認識ができた。何故『GREEN』などが高い評価を得ているのかは未だ理解できない。

 

その後茶をしばき、辻堂駅前のボカロイベントに30分ほど滞在、回転寿司を食って帰宅。