生きるからにはそれなりに

mochilonという人のブログ

笑点のテーマでしか曜日を認識できなくなった人間

五月九日、曇り時々雨。

11時に起きただろうか、10時に起きただろうか。夜中に横になりながらぽつぽつギターを弾いてみるが、ジャズスタンダードのコードをだいたい忘れている。ああでもないこうでもないと答えを見ずに思い出してみる。思いの外楽しく、そして眠気が来ずに何時に寝たのやら。

あつまれどうぶつの森を購入したのでダウンロードする。2作目であるGC版をやって最後虚無になったのでそれ以降どうぶつの森には手を出していなかったのだが、やはり20年近く経つとグラフィックも圧倒的に違う。基本的にやることは20年前から変わっていないとも言える。進めていくにつれて目標がないことに気付く、やり甲斐を見つけておかないと虚無感に飲み込まれるまるで人生のようなゲーム。

中牟礼貞則御大の映像をYouTubeで見ながらタラタラと過ごす。このAppleTVというのはYouTubeや各種オンデマンドの映像サービスをテレビと合体させる悪魔のツールだ。民放を見る気がしなくてもYouTubeやらNetflixで自分の観たいものを流せてしまう。それもお茶の間で。脅威である。

子の沐浴。自分の持っているレスポールと同じ重さになった。重めのレスポールである。ところでレスポールは80年代のリイシューから肉抜きされているそうである。だから軽いのか。オリジナルはどうだったんだろう。モノによっては5kgあるらしいが。

チャーリー・クリスチャン教則本を開いて少しギターをテレテレ弾く。ジャズ、一生弾ける気がしない。テンションなんだなーと思っていたフレーズが「ここはサブドミナントマイナーからのフレーズ」と書かれているとみんな何を考えて何を感じながら演奏しているのかさっぱりわからない。後からの理屈はわかるけど。

仕事してねぇな。Vケット4も全然行けなかったな。笑点のテーマを聞いた時だけ曜日感覚が蘇る。もう4回も笑点のテーマを聞いている。

ニッポンのジャズのことを考えていた

五月八日、晴れ。

リトル・リチャード死去。

十一時ぐらいに起きて子を見たり。基本ルーティンが同じなので記憶が曖昧になってゆく。

ローリング・ストーンズの南米ツアードキュメンタリー『オレ!オレ!オレ!ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』を流し見する。アルゼンチンに熱狂的なファン集団がいること、キューバ公演が外交的にとにかく大変であることが伝わってくる。一人だけ衣装がギラギラせずTシャツ一枚のチャーリー・ワッツが好きだ。チャーリー・ワッツになりたい。

ここ数日ギターマガジンのニッポンのジャズ特集を読んでいる。

ギタリストに焦点は絞られているが、戦前の日本のジャズの始まり(1907年!!)からフュージョンの始まる1976年までの通史を月刊誌で書くという離れ業が行われている。特に力を入れて書かれているのは戦前の角田孝、戦後の澤田駿吾、高柳昌行、中牟礼貞則。中牟礼貞則御大は御年87にして現役で引き続けるリビングレジェンドなのでご存命のうちにまたライブを観に行きたい。

そういうことを考えていたら西荻窪アケタの店の自主レーベルアケタズ・ディスクの初期(LP期)作品がCD化されていることを知る。しかも配信にも来ている。

元岡一英先生は文字通り大学で講師だったのでお世話になった。セロニアス・モンクを愛するファンキーで楽しい人。ライブに行っていないのが申し訳ない。生徒は今40年近く前のアルバムを聴いております。

 

仕事は捗るような捗らないような。ひとまず容量の問題は解決したのであとはやる気や時間の問題である。こんなんでいいのかなと思いながら作曲しているが、こんなんでいいのだと言い張らないと作品は残らないのだ。と言い聞かせながら進む。

キース・リチャーズのことをただの不良だと思っていた

五月七日、晴れ。

子の泣き声で起きて寝かしつけた後本人も寝るという調子で午後を迎える。

キース・リチャーズ: アンダー・ザ・インフルエンス』を観る。

2015年のソロアルバム『クロスアイド・ハート』を録音している時期のキース・リチャーズに密着し、ブルースやカントリーのような自身のルーツについて省みる伝記的ドキュメンタリー。チェス・レコーズで天井にペンキを塗ってる黒人がいたと思ったら憧れのマディ・ウォーターズで親切に挨拶された話、楽屋で暇だから共演者のチャック・ベリーのギターを触っていたらひっぱたかれた話が対照的で面白い。「ストリート・ファイティング・マン」のギターはアコギをテレコ(1968年のテレコ!)に過入力で録音した音をマイクで拾い直したものだという話も良かった。あのアコギともエレキとも言い難いガシャガシャした音はカセットテープで生み出されていたとは。『ベガーズ・バンケット』の録音風景も出てくるのでゴダールの『ワン・プラス・ワン』も気になってくる。

『クロスアイド・ハート』の録音ではスティーブ・ジョーダンがプロデューサー兼相棒を努めているのでスティーブ・ジョーダンのプロデューサーっぷりもついでに堪能することができる。「レゲエの曲をやるからジャマイカからホーンセクションを呼んでくれ」と言われて本当にホーンセクションを連れてくるし本人はロックもレゲエもカントリーも全てタイトに叩く上にグラサンつけてノリノリで立ち上がりながら場を盛り上げる姿まで見られて「これが音楽プロデューサーという生き物か」という気持ちで一杯になる。まさかキース・リチャーズを観ているはずがスティーブ・ジョーダンの凄さを感じるとは思わなかった。

 

午後、気絶。眠い。起きて子の沐浴。子を寝かしつけて夕食。ギターマガジン読む。今日は早く寝る。夜ふかしは止める。

SSDが2GBをもたらし、ATCQは切ない

五月七日、晴れ時々曇り。

起きた子と添い寝をしたような気もしたがまともに起きたのが午後だったので午前中の記憶は曖昧模糊としている。

明日届くと思っていた外付けSSDが届く。結局SDカードはどうやっても不調のままだったので有り難い。今まで256GBだった外付けのストレージが2TBまで化けた。やっとSSDが実用的なサイズの時代になって嬉しい。本体が256GBで2014年製の代物である。正直CPUはそこまで大化けしていないがストレージ容量は6年も経つと全く別世界になっている。ありがとう技術の進歩。そろそろMBP本体も買い替え時だとは思っている。

『ビーツ、ライムズ・アンド・ライフ -ア・トライブ・コールド・クエストの旅-』を観る。ATCQはカッコいいと思いつつ『Low End Theory』しか聴いてなかったような気がしてきた。というかLow End Theoryしか聴いてない。

悪そうな奴、金と女、ヒップホップにまつわる負のイメージを払拭して明るく健全でありながらクールなものに変えたネイティブ・タンの偉大さやATCQの歴史を確認するという意味でも良い作品なのだが、何よりQティップ、アリ、ファイフ、ジャロビ、四人の若者が手探りで騒ぎながら成功を収め、大人になる中でそれぞれの問題やすれ違い(特にファイフの糖尿病によるものが大きいが)が起きてバラバラになってゆく……まごうことなき青春が描かれている。『スタンド・バイ・ミー』を観ているかのような、ドキュメンタリーのはずなのにロードムービーのような。

映画公開当時の2011年であれば「再結成したATCQの姿、彼らには契約上あと1枚のアルバムが残されている」で終わるのだが2016年以降にこの映画を観ると最後のアルバムは既に存在しており、何故それが出ているのかまで分かっているため見え方が変わってしまうだろう。切ない。

 

Spotifyのライブラリがずっと一杯なのに業を煮やしてプレイリストでジャンル/カテゴリごとに放り込み始める。何で音楽を区切るかという問題が目の前に現れ、頭を抱える。以前はCDを一枚一枚手にとって説明を読むなり調べるなり、知らないなりにどこで入手したか概要が記憶の中にあったのだが、ネットで調べてホイホイとライブラリに追加したアルバムのジャケットとアーティスト名だけではそれが何の音楽でいつ知ったものなのかさっぱりわからない。古い音楽か新しい音楽か、ロックなのかヒップホップなのかダンスミュージックなのか、日本なのか韓国なのか英国なのかアメリカなのか、はたまたフランスかロシアか台湾かタイかインドネシアかもわからない。無論そういった情報に縛られずに音楽だけを聴けたらそれは一つの理想的な鑑賞法だと思うが、それでは今聴きたい音楽を見つけることが難しくなる。現に難しいからこうなっているのだ。

マッスル・ショールズってエッチな下着か何かだと思ってた

五月六日、曇り。

昨日までの夏らしさは去り、少し肌寒い春に戻る。

子の面倒を見てドタバタしていると一日が終わるを基本的には繰り返している。今日もドタバタしていたら一日が終わってしまった。子は毎日大きくなっている。

SDカードのフォーマットという課題が中々面倒な壁として立ち塞がるが夜には解決する。明日は作曲しましょうね。

 

Amazon Primeで音楽系のドキュメンタリーを探していて見つけた『黄金のメロディ~マッスル・ショールズ~』を観る。

モータウンファンク・ブラザーズモンキーズビーチボーイズを支えた60年代西海岸最強のレッキング・クルー、STAXブッカー・T&ザ・MG'sなど様々な縁の下の力持ち、影武者バンドが存在していたが、正直それぞれにそこまで詳しいわけではなくその中でも一番疎い、マッスル・ショールズについてのドキュメンタリー。アレサ・フランクリンの名演やパーシー・スレッジ「男が女を愛する時」、ローリング・ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』が生まれたスタジオとそのバンドの話。

アラバマ州マッスル・ショールズ、アメリカ合衆国南部の大自然と沼しかないド田舎、音楽プロデューサーリック・ホールが「フローレンス・アラバマ・ミュージック・エンタープライゼズ(FAME)」を設立するところから話が始まる。

事前知識無しで観ると話がややこしいのだが、リック・ホール率いる「FAME」と、途中袂を分かって独立するスワンパーズ率いる「マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ」の二つのスタジオの話が語られてゆく。また音楽ジャンルとしてもサザン・ソウルから話は始まるが、デュアン・オールマンレーナード・スキナードなどサザン・ロックの話題も登場するため二つのスタジオ、二つの音楽ジャンルが並行して語られてゆく。それにしてもサザン・ソウルの名曲のバックバンドが白人だったなんて!

映画としての軸を生み出すためにリック・ホールの人生とFAMEを中心に据えられているため、2✗2のトピックを語りながら作品としてのしっかりとしたまとまりのある良い映画となっている。ファンキーな名曲たちとそのストーリー、アラバマ州の圧倒的な大自然が交互に流れてくるのでヒーリング効果がある。服用しろ。

なぜ袂を分かって分裂してしまったのか、そのあたりはアトランティックのエグゼクティブ、ジェリー・ウェクスラー(R&Bの名付け親、アレサ・フランクリンを開花させた敏腕)の仕業であると語られている。エンジニアのトム・ダウドの誘いともWikipediaには語られているが真相は本人たちのみぞ知るだろう。アトランティック側からのアプローチだったのは間違いなさそうだ。

語り手の中にボノがいるのが一番謎であった。ボノは多分マッスル・ショールズに直接関係がないのによく喋っていた。ボズ・スキャッグスあたりが出ていたらもっと良かったのにね。

端午の節句、SDカード、ジーン・シモンズ、アメリカ

五月五日、晴れ。

子の泣き声で7時に起きる。7時に起きるだなんていつぶりだろう。初夏の日差しが眩しくも優しく、とても爽やかな気持ちに。

子の面倒を見て、朝食。朝食の後、二度寝

SDカードに音源(昨日のより小さい)を入れようとしたら書き込み不可になっており四苦八苦。これは一回データを移してフォーマットしないとダメなのでは?フォーマットするにしても70GBのデータを移せる場所がないのだが……?妻のマシンか何かを借りないとつらいかもしれない。家のデスクトップがあれば70GBなんて屁でもないのだが、困る。

午前中は僕ヤバが更新されて大変なことになる。僕ヤバが更新されると毎回大変なことになるのは通例なのだが。

夕食時にNHK-BSでジーン・シモンズの密着ドキュメンタリーをやっていたので見ていたのだが、番組後半の商人としてのジーン・シモンズがKISSとしての活動を続けるミュージシャン・ジーン・シモンズより遥かに興味深い。道化のような歌舞伎メイクを剥がした中にいるのが精力的なユダヤの商人だとは思うまいて。日本だと矢沢永吉に近いかもしれない。更に商魂逞しい。

 

アメリカって英国のバンドだったんですね。アメリカっていうからアメリカのバンドだと思ってました。シカゴはシカゴのバンドなのにね。ジャパンもエイジアも英国のバンドだもんね。でもヨーロッパはヨーロッパのバンドだよ。

ビートルズの深堀りをせず生きてきたのだけれど、ジョージ・マーティンPによる手腕が遺憾なく発揮されたチェンバーポップがこんな場所にあったとは……名前による食わず嫌いは良くない。主語のデカいバンド名と大学を軽視してはいけない。

戦前ジャズとSSD容量が足りない

五月四日、曇り。

子は涙を流すようになる。涙腺の発達が見られる。顔つきも少し人間に寄ってきた。

SSDの残り容量がが20GB、使いたいソフト音源の容量が30GB✗2、どうにかならないか、どうにもならない。わざわざリモートデスクトップでzipをDLしようと試みたのに容量が足りないとは盲点だった。困っているうちに昼が終わり、仕方なく外付けSSDの購入を決断。外付けはNVMEでなくても良いだろう。かつてUSB3.0と呼ばれていたものがUSB3.2(Gen1)と呼ばれているのはなんなんだ?3.0と3.1はどこへ行ったんだ?毎回この手の買物をする度に確認し直す羽目になるので勘弁してほしい。

ギターと戯れる。戯れすぎて夜ふかしをしないように。

初心を忘れてインターネットをしすぎた。インターネットをやめろ。

 

1928年(昭和3年)日本最初のジャズ歌謡、二村定一による「私の青空」どうもコロムビア録音のものとビクター録音のものが同時に発売されたらしい。サブスクで聴けるのはビクター録音のソロのものだった。

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